山嵐 (柔道)
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概要
講道館の創始者の嘉納治五郎の弟子で、柔術との試合に勝利した西郷四郎の得意技として有名。1920年(大正9年)、講道館の手技が整理された際に分類から一旦除外され幻の技となったが、現在は復活している。
西郷四郎の山嵐は、嘉納治五郎をして「西郷の前に山嵐なく、西郷の後に山嵐なし」と言わしめるほどの技であった。
現存する殆どの技の名は、その所作、動作を説明的に読み上げた形象的なものであるのに対し、抽象的な名称で呼ばれる技は、古式形など一部の例外を除いて山嵐のみである。
技の掛け方
右組みの場合:引き手は右袖を持ち、釣り手は片襟に(右襟を)持ち、背負投(もしくは体落とし)と払腰を合わせたような形で投げる。ただし、相手の右脚を払うとき、右足の裏で払う。背負投などと同じく背が低い者が高い相手を投げる際に有利であるとされる。ちなみに西郷の身長は五尺一寸(約153cm)とされている。
姿三四郎と山嵐の過大なイメージ
富田常雄の小説「姿三四郎」(1942年)では、主人公の三四郎は西郷四郎をモデルに描かれており、作中で「山嵐」は三四郎が完成させた「必殺技」として登場した。ところが、この小説のイメージが非常に強かったことと、大正9年に講道館手技が整理された際に分類上除外されたことなどから、山嵐は『あまりにも強力故に禁断となった究極技』のような過大な印象で、巷に名ばかりが通るようになってしまった。実際に幾度となく映像化された「姿三四郎」では、山嵐で投げられた相手がまるで爆風で吹き飛ばされたように宙を飛んでいくといった過剰な描写であったため、ますます山嵐は「ものすごい超必殺技」という曲解が進んでしまった。
とは言っても、相手の重心を最短距離で崩し最速で投げる必要のある山嵐は非常に難しい技であるのに違いはない。