宮川町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮川町(みやがわちょう)は京都市東山区に位置しており、宮川筋二丁目から六丁目までが花街である。
沿革
出雲阿国の歌舞伎踊りの時代から始まり、当初は遊女が接待をしたり、若衆歌舞伎の小屋と茶屋が立ち並び10代の少年(陰間)が接待をしていた花街だった[1]。江戸時代頃には売色衆道専業の若衆茶屋(陰間茶屋)も集まった。その後は江戸の3大改革による度重なる風俗取締りで、若衆歌舞伎や陰間茶屋も打撃を受けた[1]。
明治・大正と、昭和33年(1958年)の売春防止法施行までは遊廓であり、今でも遊廓時代の建物が残っている。
現在は芸妓一筋の花街で、毎年春には『京おどり』が上演される。舞妓数は祇園甲部に続いて20人以上の大きい数を誇っている。舞踊の流派は明治以前は篠塚流、それ以降30年ほど前までは楳茂都流であったが現在は若柳流が主流である。
1999年(平成11年)、宮川筋3丁目から6丁目の一部、西御門町にかけて祇園町南歴史的景観保全修景地区に指定された。
2003年(平成15年)、宮川町芸妓ふく葉(同芸妓組合会長)、君直、ちづるの三名が宮川町初の若柳流名取となった(一方富美蝶を代表とする楳茂都流の名取芸妓も健在である)。
2006年(平成18年)、 歌舞練場改築工事で休演されていた芸妓の発表会である『みずゑ会』が31年ぶりに復活した。
教育、稽古
詳細は東山女子技芸学校参照。