安藤直裕
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安藤 直裕(あんどう なおひろ)は、紀伊田辺藩の第16藩・第18代藩主。第14代藩主・安藤直則の次男。初名を直承とも名乗る。通称は帯刀、飛騨守。竹堂、墨堂と号する。
文政9年(1826年)5月25日、家督を継ぐ。天保6年(1835年)12月27日、従五位下飛騨守に叙任する。紀州藩において藩主・徳川慶福(のちの将軍徳川家茂)や徳川茂承などの補佐を務めた。慶応2年(1866年)、第2次長州征伐では幕府軍の石州口の総督を務め、1080名を率いて出陣したが、弾薬を使い果たして江津まで退却した。同年12月3日、罷免、謹慎を命じられる。慶応3年9月27日、謹慎を解かれる。
慶応4年(1868年)1月24日、「維新立藩」で独立の大名となった。同年5月5日、上洛する。明治2年6月20日、田辺藩知事に就任する。明治4年(1871)10月10日、藩主の地位を長男の直行に譲って隠居したが、ほどなくして再任している。
明治18年(1885年)、65歳で死去した。