大鰐町
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テンプレート:Infobox 大鰐町(おおわにまち)は、青森県津軽地方の南端に位置する町。
目次
地理
山間に流れる岩木川の支流、平川に沿って町が展開する。豊かな自然と緑に恵まれた、スキーと温泉の町。
- 川:平川
- 山:阿闍羅、手代森
隣接している自治体
行政
大鰐町は、第三セクターが経営するスキーリゾート(大鰐温泉スキー場)に対する経営支援により財政難に陥り、2009年9月に町議会で承認された平成20年度決算に基づくと、健全化判断比率のうち将来負担比率が早期健全化基準の350%を超え、青森県内で初となる早期健全化団体(財政再生団体の1つ手前で、破綻寸前とされる)へ転落した[1]。そのため、2010年3月に、財政健全化法に従い財政健全化計画を作成している[2]。大鰐町では、平成の大合併においても、借金が問題となり近隣市町村との合併が成立しなかった。弘前市を中心とする中弘南黒地区(弘前市、黒石市、中津軽郡、南津軽郡)での合併の際には多額の負債が問題となり、平川市への南津軽郡南部の合併では、旧尾上町、旧平賀町と、道路では接続のない旧碇ヶ関村が合併したが、その間に位置する大鰐町は合併しなかった。
なお、2010年6月27日に実施された町長選挙では、町を二分する選挙となり、現職(選挙時)の二川原和男候補と新人の山田年伸候補の得票数が3524票の同数となった。そのため、青森県内の市町村長選挙で初めてのくじ引き抽選が行われ、山田候補が初当選した[3]。
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により宿川原村、三ツ目内村、居土村、早瀬野村、島田村、虹貝村、大鰐村が合併して大鰐村が発足。
- 1923年(大正12年)4月1日 - 大鰐村が町制施行して大鰐町となる。
- 1954年(昭和29年)7月1日 - 大鰐町が蔵館町と合併し、改めて大鰐町となる。
- 1964年(昭和39年)9月30日 - 弘前市の一部(森山)を編入。
姉妹都市・提携都市
国外
産業
郵便
- 大鰐郵便局(集配局)(84043)
- 長峰郵便局 (84156)
地域
人口
高等学校
中学校
小学校
- 大鰐町立大鰐小学校
- 大鰐町立大鰐第二小学校
- 大鰐町立蔵館小学校
- 大鰐町立長峰小学校
交通
鉄道路線
道路
バス路線
路線バス
高速バス
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
出身有名人
- 2代目若乃花幹士(わかのはな かんじ・第56代横綱、在位期間1978年(昭和53年)7月 - 1983年(昭和58年)1月・現在、間垣親方)
- 福田修子(2006年トリノ冬季オリンピックで日本女子距離として初の入賞)
- 一の谷崇帥(大相撲力士・十両)
- 増田手古奈(俳人)
脚注
- ↑ 大鰐町が早期健全化団体に転落 三セク債務補償重く 陸奥新報ウェブ版:2009年9月11日
- ↑ 「財政健全化計画」および「経営健全化計画」の公表について 大鰐町・2010年3月
- ↑ くじで落選異議申し出へ 大鰐町長選 デーリー東北・2010年6月29日
外部リンク
座標: [[[:テンプレート:座標URL]]40_31_6_N_140_34_4_E_type:adm3rd_region:JP_02 北緯40度31分6秒 東経140度34分4秒]