大庄
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株式会社大庄(だいしょう、テンプレート:Lang-en-short)は、外食産業の企業。本社所在地は東京都大田区。
目次
概要
『庄や』、『やるき茶屋』、『日本海庄や』、『榮太郎』、『ジョン万次郎』、『うたうんだ村』、『MIYABI』などのブランド名で大衆割烹チェーンを全国に展開。直営店舗、フランチャイズ店舗があり、ブランドラインを総称して「大庄グループ」と呼んでいる。M&Aも積極的に行い業務を拡大。グループ会長は創業者であり、社長の平 辰が兼任する。
「はい!よろこんで!」という受け答えで知られ、2010年12月よりスタートしたTwitter特設サイトの名称も、これをもじって「ハイ! よろこんでナウ!」としている。Twitterでは全国600人以上の店長が個々の店舗のサービス状況についてつぶやいている。企業の公式なTwitterアカウントを用いてつぶやくことができる人数は、一企業としては国内最大となっている。
沿革
- 1968年4月2日 - 創業。
- 1971年 - 11月 株式会社朱鷺設立。
- 1973年3月 - 千代田区に大衆割烹「庄や本家店(庄や1号店)」開店。
- 1976年7月 - 「有限会社大庄」設立。
- 1978年4月 - 社内研修センターとして「日本料理専門学校」開設。
- 1982年10月 - 「株式会社やる気茶屋」設立。
- 1985年6月 - 「東京都調理高等職業訓練校」設立。
- 1989年9月 - 有限会社大庄を吸収合併し、現社名に変更。本店を大田区に移転。
- 1989年12月 - 居酒屋「949」チェーンを展開する「株式会社イズプランニング」買収。
- 1990年5月 - 衛生管理・食材検査等のため「食品衛生研究所」開設。
- 1991年3月 - 直営店69店舗となる。
- 1991年4月 - 定置網漁業、水産物加工販売のため「有限会社グラマー・フィッシュ」に出資。
- 1992年4月 - 株式会社やる気茶屋を吸収合併、直営店110店舗に。
- 1992年8月 - 居酒屋「呑兵衛」を展開する「株式会社木戸商事」に事業参加。
- 1993年8月 - 水産物・水産加工物販売のため「米川水産株式会社」に資本参加。
- 1993年12月 - 食材配送の効率化を図り、物流センターを品川区に移転。
- 1994年7月 - 東京証券取引所・店頭市場に公開。
- 1995年6月 - 讃岐食品株式会社より「讃岐茶屋」店舗を買収。
- 1996年10月 - セントラルキッチン機能を持つ食品工場が大田区に完成。
- 1996年12月 - 欧風家庭料理レストラン「マ・メゾン」を買収。
- 1997年3月 - 「MIYABI」の食パン製造販売のため「株式会社ディー・エスぎをんボローニャ」を設立。
- 1997年5月 - 東京証券取引所2部上場。
- 1999年2月 - 東京証券取引所1部指定替え。
- 1999年4月 - 病院・福祉施設での給食施設運営を目的に「株式会社アルス」設立。
- 1999年8月 - 「株式会社木戸商事」等を吸収合併、直営店323店舗に。
- 2003年1月 - 「総合科学新潟研究所」を開設。
- 2003年3月 - 居酒屋「榮太郎」チェーンを展開する「株式会社榮太郎」と合併。
- 2005年2月 - 名古屋物流センターを開設。
- 2005年4月 - 「とん兵衛」グループ10店舗を営業譲渡により取得。関西進出。
- 2005年11月 - 「有限会社グラマー・フィッシュ」を吸収合併。
- 2006年8月 - 「株式会社エム・アイ・プランニング」が持分法適用関連会社となる。
- 2007年9月 - 「佐渡C50」を製造する「新潟県佐渡海洋深層水株式会社」を子会社化。
- 2008年12月 -「株式会社 壽司岩」より本格江戸前寿司「築地寿司岩」の事業譲渡を受ける。
- 2014年8月 - 本社を大森シティビルに移転。旧本社ビルと敷地をヒューリックに売却[1]。
展開業態一覧
過去に展開していた業態
- ステーキレストラン ワイアラ
東京都調理高等職業訓練校
1978年に社内研修センターとして設立した日本料理専門学院を前身とする。1985年に東京都知事の認定を受けて認定職業訓練による職業訓練校(現・職業能力開発校)として開校した。調理技術のほか食品衛生学まで幅広く知識と能力をもつ人材育成を展開する。
労働問題
過労死事件
2008年12月22日に、長時間の残業により24歳の従業員が過労死したとして、この従業員の両親が、約1億円の損害賠償を求め、京都地方裁判所に訴えを提起した[2][3]。
原告の主張は、新入従業員を月額19万4,500円で募集していたが、その月額は80時間の残業を前提としており、それ以下の場合は減額され、最低月額は12万3,200円であった[4]。2008年度のリクナビ求人サイトには、月額19万6,400円+残業手当と書かれていたという。
2010年5月25日、京都地方裁判所は原告の請求を認容、同社と取締役4人に対し約7,860万円の支払いを命じた。判決理由は「長時間労働を前提としており、こうした勤務体制を維持したことは、役員にも重大な過失がある」、「生命、健康を損なわないよう配慮すべき義務を怠った」と指摘している。過労死を巡る訴訟は、会社側が責任を負うことが一般的で、取締役の賠償責任を認めた司法判断は珍しい[5][6][7]。原告代理人の弁護士は、「上場企業の役員個人の責任が認められたのは画期的」と述べた[4]。
この第一審判決に対して、被告大庄側は大阪高等裁判所に控訴する。
2011年5月25日、大阪高等裁判所は約7,860万円の賠償を命じた第一審京都地裁判決を支持、会社側の控訴を棄却した。従業員死亡までの約4カ月間の時間外労働は月平均100時間超で、厚生労働省が定めた過労死認定基準(月80時間超)を上回っていた。控訴審の審理において控訴人大庄側は、月100時間までの残業を認めた労使協定があり「外食産業では一般的」と主張したが、裁判所は「過大な残業が常態化し、協定でも補いきれなかったのが実情に近い」と認定し、三六協定や賃金体系の体制作りは「経営判断事項」とする大庄側の主張に対し、「責任感のある誠実な経営者であれば、自社の労働者の至高の法益である生命・健康を損なうことがないような体制を構築し、(中略)義務があることは自明」とその主張を退けた[8][9]。
控訴人(会社側)らは2011年6月8日、控訴棄却を不服として上告し、引き続き最高裁で争われることになった[9]。
2013年9月、最高裁第3小法廷は大庄側の上告を退ける決定を下した。これにより社長ら個人の賠償責任も認め、遺族へ計約7860万円を支払うよう命じた一、二審判決が確定した[10][11][12][13]。
『名ばかり管理職』訴訟
名古屋市内の同社運営の居酒屋で2007年7月から2009年3月まで店長として勤務してきた24歳の元社員の男性が、実際には権限のない『名ばかり管理職』として扱われ、過労死ラインに当たる月80時間以上の労働をさせられた上、管理職扱いで月80時間分の固定残業代しか支払われなかったとして、2009年7月8日に、未払い賃金と慰謝料を合わせて計約570万円の支払いを求め、名古屋地裁に提訴した[14]。
関連項目
脚注
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 残業月98時間で過労死 1億円賠償求め提訴 京都地裁 産経新聞 2008年12月22日テンプレート:リンク切れ
- ↑ 「残業98時間、急死」 「日本海庄や」店員の両親提訴 朝日新聞 2008年12月22日テンプレート:リンク切れ
- ↑ 4.0 4.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 過労死訴訟「日本海庄や」社長らに7860万円賠償命令(2010年5月25日12時12分配信、毎日新聞: 2010年6月4日閲覧)テンプレート:リンク切れ
- ↑ 京都地判平成22年5月25日の判示事項要旨
- ↑ 京都地判平成22年5月25日の判決全文
- ↑ 「日本海庄や」の過労死訴訟 2審も社長らに賠償命令テンプレート:リンク切れ
- ↑ 9.0 9.1 テンプレート:Cite webテンプレート:リンク切れ
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 「名ばかり管理職」と提訴 居酒屋チェーンの元店長 産経新聞 2009年7月8日テンプレート:リンク切れ