大山阿夫利神社

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テンプレート:神社 大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ) は、神奈川県伊勢原市大山(別名:雨降山〈あふりやま〉)にある神社である。「阿武利」とも表記し、「あぶり」とも読む。相模国式内社十三社の内の一社で、旧社格県社(現・神社本庁別表神社)。

祭神

本社に大山祇大神(オオヤマツミ)、摂社奥社に大雷神(オオイカツチ)、前社に高神(タカオカミ[注 1]を祀る。

ただし、これらは明治になってから神仏分離の際に祀られるようになったものであり、江戸期以前の神仏習合時代には、本社には本来の祭神である石尊大権現(山頂で霊石が祀られていたことからこう呼ばれた)が祀られていた。また、摂社には、奥社に大天狗、前社に小天狗が祀られていた。

歴史

ファイル:Pilgrims at the Roben waterfall, Oyama.jpg
歌川国芳画号:一勇斎)筆、『大山石尊良辧瀧之図』 江戸時代、大山石尊(現・大山阿夫利神社)の滝に参拝する人々。

社伝には崇神天皇の御代[注 2]の創建とある。延喜式神名帳では「阿夫利神社」と記載され、小社に列している。

天平勝宝4年(西暦752年)、良弁により神宮寺として雨降山大山寺が建立され、本尊として不動明王が祀られた。

中世以降は大山寺を拠点とする修験道(大山修験)が盛んになり、源頼朝を始め、北条氏徳川氏など、武家の崇敬を受けた。 江戸時代には当社に参詣する(大山講)が関東各地に組織され、多くの庶民が参詣した。

明治時代になると神仏分離令を機に巻き起こった廃仏毀釈の大波に、強い勢力を保持していた大山寺も一呑みにされる。この時期に「石尊大権現・大山寺」の称は廃され、旧来の「阿夫利神社」に改称された。明治6年(1873年)には県社に列格している。

戦後、神社本庁には属さず、昭和27年(1952年)8月より阿夫利神社本庁として単独で運営されてきたが、近年、神社本庁の傘下に入った(阿夫利神社本庁も存続)。

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脚注

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注釈

  1. 右端に表示の漢字を参照⇒
  2. 社伝は「崇神天皇の御代に創建」としているが、その崇神天皇の御代は西暦の3世紀ごろに相当すると考えられている。もっとも、社伝と史実は多分に別儀である事をここに特記しておく。

関連項目

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外部リンク