堀之内 (川崎市)
テンプレート:Pathnav テンプレート:Infobox Settlement 堀之内(ほりのうち)は神奈川県川崎市川崎区にある町名「堀之内町」のこと。郵便番号は210-0003。面積は0.0648km²[1]、2012年6月30日時点での人口は633世帯814人であり、人口密度は12,581人/km²となっている[2]。堀之内には、ソープランド街があり、関東では東京の吉原に次ぐ規模である。以下、堀之内のソープランド街を中心に記述する。
歴史
当地は平安時代末期の武将である河崎基家の居所に比定されている[3]。寛永8年(1631年)、元禄10年(1697年)、幕末ともに堀之内は幕府領であるが[3]、天正20年(1592年)の山王社(稲毛神社)の検地帳に村名が記録があるように[4]、山王社領があった[3]。
江戸時代よりこの近辺は東海道川崎宿の宿場町として栄え、飯盛女を置いていた旅籠が多かった。戦後も青線地帯として売春が行われていたが、1958年に売春防止法が施行されたことにより、多くの売春宿は廃業に追い込まれたが、一部の店舗はちょんの間として細々と営業していた。
1960年、堀之内に初めてのトルコ風呂である「京浜トルコ」が開店した[5]。1966年に風俗営業等取締法が改正されて堀之内地区が公式にトルコ風呂の許可地域となり、1969年に城郭風の豪華建築の高級トルコ風呂である「川崎城」が開店すると大成功し、トルコ街として栄えることになった。さらに同店に勤務する嬢が「泡踊り」と呼ばれるボディ洗いのマットプレイのサービスを発明したといわれる[6]。「泡踊り」のサービスは日本中のトルコ風呂へ広がっていったが、その本家堀之内では「川崎流」と呼ばれる「泡踊り」の技術(どのような体の向きや位置であっても絶対に肌の密着を中断させずに行うもの)が発明され[7]、「テクニックの堀之内」と呼ばれるようになった[8]。なお「川崎流」の源流はトルコ風呂「王朝」だといわれる[7]。
1980年代にトルコ風呂はソープランドに改称され、エイズが日本で感染例が確認されて性風俗業界が伸び悩む中、1991年に堀之内特殊浴場協会は全国に先駆けて加盟店に対してコンドーム着用を義務づけることになった。2013年1月現在、堀之内のソープランドの店舗数は、55店舗である(内訳は堀之内特殊浴場協会加盟店が29店舗[9]、川崎堀之内新ソープランド協会加盟店が26店舗[10])。関東では東京の吉原に次ぐ規模である。
青線時代からの名残りで「ちょんの間」と呼ばれる業態店舗も多く存在したが、警察の摘発と指導を受け、2005年8月26日に34店舗が加盟する川崎東地区料理飲食店組合が川崎署にて解散を宣言した[11]。これにより組合加盟の店のほとんどが廃業し、組合非加盟の外人娼婦の店など一部の店だけが存続した。しかし2009年に数回にわたる一斉摘発が実施されたことで、韓国人ら34名が逮捕され、9店舗が閉鎖に追い込まれた[11]。