城辺町 (愛媛県)
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テンプレート:Infobox 城辺町(じょうへんちょう)は、2004年9月まで愛媛県の南宇和郡に存在した町である。現在は、平成の合併を経て愛南町となっている。愛南町のほぼ中央部に相当する。
地理
愛媛県の最南端である南宇和郡の中央に位置する。北に四国山地から分岐して東から西に走る篠山山脈を持って、北宇和郡津島町に接し、南は東西に長くひらけて太平洋に面している。西は市街地を御荘町に接し、郡内の主要公共施設は当町と御荘町とに集中している。東は、ゆるやかな山地で一本松町に接し、海岸線でわずかに高知県宿毛市に接しているが、宿毛市への交通は専ら一本松町を貫通する国道56号によっている。
町名の由来
- 戦国時代、諏訪山に常盤城(亀城)が築かれ、これが「城辺」という地名の由来の一つとされる。
歴史
古代 - 中世
- 戦国時代、諏訪山に常盤城(亀城)が築かれていた。
藩政期
- 藩政期には宇和島藩の領地で御荘組に属し、22か浦を治める代官所が緑村におかれていた
明治以降
- 1889年(明治22年)12月15日 - 町村制施行により南宇和郡城辺村が成立する。
- 1896年(明治29年)- 深浦港への南予運輸社の宇和島-宿毛-小筑紫航路の寄航始まる。
- 1906年(明治39年)- 深浦港への大阪商船の寄航始まる。南予運輸との競合始まる。太平洋戦争による船舶不足により、航路は順次廃止。
- 1923年(大正12年)2月11日 - 城辺村が町制施行し、城辺町となる。
- 1952年(昭和27年)9月1日 - 緑僧都村と合併し、新たに城辺町となる。
- 1956年(昭和31年)9月21日 - 東外海町と合併し、新たに城辺町となる。
- 1957年(昭和32年) - 深浦港の定期航路がすべて廃止される。
- 2004年(平成16年)10月1日 - 南宇和郡全体5か町村(御荘町、城辺町、西海町、一本松町、内海村)が合併し、愛南町が成立、自治体としての歴史を閉じた。
城辺町の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) (昭和の合併) (平成の合併) 町村制施行時 緑 ━━━━┓ 昭和27年9月1日合併 ┣━━━緑僧都村━━━━━━━━┓ 僧都 ━━━━┛ あ ┃ 昭和31年9月21日合併 城辺 ━━━━━━━城辺村━━━城辺町━━━┻━━━┳━━━━━━┓ 東外海浦━━━━━━━東外海村━━━━━東外海町━━━┛ ┃ い ┃ 内海村━━━━━━━━━━┫平成16年10月1日 御荘町━━━━━━━━━━┫ 新設合併 一本松町━━━━━━━━━╋━愛南町 西海町 ━━━━━━━━━┛ あ 大正12年2月11日、町制施行「城辺町」となる。 い 昭和27年4月1日、町制施行「東外海町」となる。 (注記)内海村他の合併以前の系譜はそれぞれの町村の記事を参照のこと。
地域
城辺村には大字はなかった。緑僧都村との合併時、3大字を継承。1956年の東外海村との合併と同時に、大字を廃止。15字となる。
- 僧都(そうず)、緑(みどり)、城辺(じょうへん)、蓮乗寺(れんじょうじ)、脇本(わきもと)、中玉(なかたま)、大浜(おおはま)、柿ノ浦(かきのうら)、敦盛(あつもり)、岩水(いわみず)、垣内(かきうち)、深浦(ふかうら)、鯆越(いるかごえ)、古月(ふるつき)、久良(ひさよし)
なお、平成の大合併により愛南町となってからの地名表記は、城辺町を愛南町に置き換えることで対応している。ただし、「甲」「乙」のみ、「城辺甲」、「城辺乙」とする。
- 例 城辺町僧都 → 愛南町僧都 、 城辺町甲 → 愛南町城辺甲
教育
町内に高等学校はない。 ただし、愛媛県立南宇和高等学校の敷地の一部が町内に存在する。
交通
鉄道
- 町内に鉄道はない。