曽於郡
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(囎唹郡から転送)
曽於郡(そおぐん)は、鹿児島県の郡。713年の大隅国設置時から存在した4郡(他は肝杯郡・大隅郡・姶羅郡[1])のひとつである。
以下の1町を含む。
- 大崎町(おおさきちょう)
713年時点の郡域はおおよそ現在の曽於市・霧島市・伊佐市・姶良郡、江戸時代の郡域はおおよそ現在の曽於市・霧島市東部・鹿屋市輝北町市成、平成の大合併前(2000年ごろ)の郡域は現在の曽於市・志布志市・大崎町・鹿屋市輝北町にあたる。
歴史
古代
元々は囎唹郡と表記し、大隅国の郡であった。
式内社
『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。 テンプレート:式内社一覧/header テンプレート:大隅国曽於郡の式内社一覧 テンプレート:式内社一覧/footer
近現代
1887年5月に東囎唹郡と西囎唹郡に分割された。1897年4月1日、郡制施行に伴う郡統廃合の際、西囎唹郡は姶良郡と統合され、東囎唹郡は南諸県郡(旧日向国諸県郡を分割)と統合され囎唹郡となった。
囎唹郡(~1887年)
- 1887年4月1日 - 囎唹郡が東囎唹郡と西囎唹郡に分割される[2]。
囎唹郡・曽於郡(1896年~)
- 1897年4月1日 - 東囎唹郡・南諸県郡が合併し発足。末吉村・岩川村・恒吉村・財部村・市成村・東志布志村・西志布志村・月野村・松山村・大崎村・野方村を編成する。(11村)
- 1913年7月1日 - 東志布志村が町制施行・改称し志布志町となる。(1町10村)
- 1922年10月1日 - 末吉村が町制施行し末吉町となる。(2町9村)
- 1924年4月1日 - 岩川村が町制施行し岩川町となる。(3町8村)
- 1926年4月1日 - 財部村が町制施行し財部町となる。(4町7村)
- 1936年1月1日 - 大崎村が町制施行し大崎町となる。(5町6村)
- 1955年1月20日 - 岩川町・恒吉村・月野村が合併し、大隅町が発足。(5町4村)
- 1955年4月1日 - 野方村が大隅町・大崎町・西志布志村に分割編入。(5町3村)
- 1956年4月1日 - 市成村が肝属郡百引村と合併し、輝北町が発足。(6町2村)
- 1958年4月1日(8町)
- 1972年4月1日 - 囎唹郡を曽於郡に改称。
- 2005年7月1日 - 大隅町・末吉町・財部町が合併し、曽於市が発足、郡より離脱。(5町)
- 2006年1月1日(1町)