嘗糞

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嘗糞(しょうふん、サンプン、상분)とは、人間を舐めて、そのが苦ければその人物の体調は良くなっており、甘ければ体調が悪化していると判断する、古代中国朝鮮半島李氏朝鮮時代まで行われた民間の診断法。儒教では孝行の一種とされている。

中国

嘗糞の記録は中国南北朝時代代の説話にも見受けられる。『二十四孝』や『日記説話』によれば、南斉時代に庾黔婁という役人が父親が病気になったので帰郷すると医者に、糞を嘗めてみないと状態が解らないと言われ、その味が甘かったので憂いたという「嘗糞憂心」の故事が残っている。

嘗糞は「お世辞の言葉」としても使われ、お世辞の度が過ぎる輩の事を「嘗糞之徒」という。これは、中国の春秋時代勾践が呉王の糞を嘗めて病気がじきに治ると言ったという『テンプレート:仮リンク』「勾践入臣外伝」の故事の基づく。

朝鮮

「朝鮮風俗集:全」の「朝鮮の孝子烈女」には

  • 六、親の病のとき其糞を甞める、此れは其味が甘くして滑かなれば全快せず、苦くして粗なれば全快すると云ふ言伝へにより快否を験する為めである。糞には胆汁が働ひて居るから大抵は苦味があろふが、甘味のあるものは恐く有るまひ。[1]

との記述がある。しかしこれらの「孝行」について、

  • 実際に於て感嘆に値する孝子が昔より有ったに相違無ひが其真実の孝子の事蹟たるや、却て平々凡々たるものであるから、人目を惹かない結果旌表せられずに、世に埋没せられ、史的事実となって世に顕はれたものは、奇形的孝行で何か突飛な際立った事をやったもの許りである。[2]
  • 孝行に偽が多くなった原因は、孝子を一門の名誉とすること甚しく、且兵役の免除、衣服物品の賜与等の利益があった為めである。[3]
  • 自分は古書を探して三百人許の孝子を調べて抽象したものが以上の通りである。尽く支那の二十四孝の焼直しである。[4]

と述べ、これら旌表された朝鮮の「孝行」は全て中国の二十四孝の模倣であり、記録に残ったものは奇形的で突飛な物であり、またそれらも誇張が多く信憑性に乏しいとしている。

脚注

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  1. 今村鞆『朝鮮風俗集:全』斯道舘、1914年、189ページ
  2. 今村鞆『朝鮮風俗集:全』斯道舘、1914年、187ページ
  3. 今村鞆『朝鮮風俗集:全』斯道舘、1914年、192ページ
  4. 今村鞆『朝鮮風俗集:全』斯道舘、1914年、191ページ

参考文献

関連項目