古天明平蜘蛛

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古天明平蜘蛛(こてんみょうひらぐも)は、戦国時代武将松永久秀が所有していた茶釜

概要

蜘蛛が這いつくばっているような形をしていたことから、「平蜘蛛釜」の名が付けられた。

松永久秀は織田信長へ臣従した際に名物・九十九髪茄子を進呈したが、それ以降、信長から幾度も所望された平蜘蛛に関しては断っている。後に久秀は信長に侵攻され信貴山城にて自害するが(信貴山城の戦い)、この際に平蜘蛛は、信長の手に渡るのを潔しとしない久秀によって打ち壊されたとも、爆死のために爆薬を仕込まれ消失したともいわれている。

一方で現存するとする意見もある。静岡県浜松市西区舘山寺町の浜名湖舘山寺美術博物館には「平蜘蛛釜」と伝わる茶釜があり、その由来によれば、信貴山城跡を掘り起こした際にこの茶釜が出土しており、信長の手に渡り愛されたものだという。

また、松永久秀と親交のあった柳生家の家譜『玉栄拾遺』には、久秀が砕いた平蜘蛛は偽物で、本物は友である柳生松吟庵に譲ったという記述がある。[1]

備考

  • 茶釜の発生は大別すると、芦屋釜(九州)と天明釜(東国)の2つの流れからなり、名称の「古天明」に従うなら、下野国天明(現佐野市)産の茶釜である。
  • 「古天明」とは、正長年間(1428年 - 29年)から天文年間(1532年 - 55年)の時期を指し、以降のものを「後天明」と称する。

注釈

  1. 『玉栄拾遺』に「同(天正五年)十月十日久秀秘蔵スル所平蛛ト云茶ノ湯釜ヲ打壊、糠ニ詰箱ニ入テ(攻め手の大将の)信忠ニ贈、其後野々宮囃子ヲナシ、火宅ノ門ヲ出ルト云時、城ニ火ヲ懸自滅ス。(息子の)久通ハ行方不知ト云云。臣按、平蜘ノ釜ハ久秀秘蔵スル所、信長所望アリ。久秀不献、此事ヨリ君臣不合タリ。且柳生松吟庵ハ久秀平日断金ノ友タリ。故ニ実ノ平蜘ハ此時竊(ひそか)ニ松吟庵エ贈。打壊所ハ贋物也ト云。松吟庵代々伝テ重器トス」とあり。

関連項目

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