コタン
概要
コタンはアイヌ語で「宅地」をさし、アイヌ民族の生活の本拠地でありアイヌの社会を形成する最も小さな単位である。
一般に、狩猟や漁撈など採集により生活している民族は、採集に移動の必要があるため一箇所に定住しない。しかしアイヌの場合、採集民族ではあるが魚への依存が強かったため、一箇所に定住し、なおかつ立地もそれによって決められていた(たとえば、サケの産卵地などの河川沿いに一箇所に移住するなど)。コタンは間は大体5 - 7kmほどの間隔で存在していた。
コタンは数軒の家により構成されており、たいていは5戸 - 7戸から成る。10戸以上は例外的な大集落で、20戸を超えるものは場所請負制など、和人による強制移住の結果である。コタンの構成要員は、1つまたは複数のエカシ・イモロと呼ばれる父系の集団の成員であり、その長はコタンコロクル(村を持つ者)と呼ばれていた。
コタンはそれぞれある一定の地域における資源をコタン内で共有する権利を持っており、他のコタンのものが別のコタンの領域を侵すと懲罰に処せられたという。コタンは茅葺の家屋(チセ)、小熊を飼うための檻(ヘペレセッ)、食糧を貯蔵する高床式倉庫(プー)に共同の厠(男用のものがアシンル、女用のものがメノコル)、さらにイナウを捧げる祭壇(ヌサ)で構成されている。また、コタンの附近にはチャシ(砦のようなもの)があることもあった。
それぞれのコタンには名前があり、そのコタン名がのちに和人によって地名とされたケースがまま見られる。北海道や千島列島や樺太の地名の中に「こたん」という言葉が入っている例がそれである(漢字では「古丹」などが当てられている。)。
ただし、阿寒湖温泉街に現在ある「アイヌコタン」は、旧来大コタンが形成されていたのではない。阿寒湖周辺にはアイヌ人の家屋が点在していたが、1959年に、阿寒湖一帯の自然保護活動を行ってきた前田一歩園財団の当時の理事長である前田光子の呼びかけによって、前田が無償提供した土地に阿寒湖周辺のアイヌ人が移住し、コタンが形成されたものである。
地名としてのコタンの例
- オンネコタン(温禰古丹)
- クシュンコタン(久春古丹)
- シコタン(色丹/大きな村の意)
- シャコタン(積丹)
- カムイコタン(神居古潭・神居古丹・神威古潭)
- 神居古潭駅 - 北海道旭川市神居古潭にあった日本国有鉄道函館本線の駅
- シャスコタン(捨子古丹)
- チリンコタン(知林古丹)
- ハリムコタン(春牟古丹/ウバユリの多いところの意)
- コタン(古潭)
- トコタン(床丹/滅びた村の意)
- コタンベツ(古丹別)
- 古丹別駅 - 北海道苫前郡苫前町にあった日本国有鉄道羽幌線の駅
その他
- アイヌ料理の一つにコタン丼といわれる丼物の料理がある。
- 余市町出身のアイヌ歌人、違星北斗の遺稿集に「コタン」がある。
- シマフクロウのアイヌ語名は、「コタン・コロ・カムイ」 (kotan kor kamuy, コタンを護るカムイ) である。