千住検車区竹ノ塚分室
千住検車区竹ノ塚分室(せんじゅけんしゃくたけのつかぶんしつ)とは、東京都足立区西竹の塚1丁目にある東京地下鉄日比谷線の検車区である。当初からの竹ノ塚検車区は2010年(平成22年)度に千住検車区に組織統合され、千住検車区の分室となった[1]。
概要
1961年(昭和36年)に開業した営団地下鉄(現・東京地下鉄)日比谷線においては、開業後に予想を大きく超える乗客数により、編成両数の増加など輸送力増強に追われていた。このため、同線の車両基地として使用していた千住検車区では拡張工事が検討され、2層構造とした立体構造への改築なども検討された[2]。しかし、同検車区周辺は軟弱地盤構造のため、地盤沈下防止に多額の費用がかかるために断念し、東武鉄道の西新井電車区を譲り受け、1966年(昭和41年)9月に営団地下鉄竹ノ塚検車区として発足することになった。
最寄りは東武伊勢崎線の竹ノ塚駅。この際、東武鉄道は当地から埼玉県春日部市の春日部検修区(現在の南栗橋車両管区春日部支所)に移転した。
既に都市開発が完成している都心部を走る地下鉄では、路線沿いに広大な土地を確保して車庫を設置することが難しく、乗り入れ先の路線沿いに車庫を設置することがある。このような例は、初の地下鉄・郊外私鉄間の相互直通運転となった都営地下鉄浅草線における京成電鉄内の旧向島車庫・高砂車庫で既にみられたほか、他に東京メトロ半蔵門線の鷺沼検車区や大阪市営地下鉄堺筋線の東吹田検車場などがある。このような車庫の設置は、営団地下鉄(当時)としては初であった。
2005年(平成17年)3月15日に竹ノ塚駅の手動遮断機踏切で事故(東武伊勢崎線竹ノ塚駅踏切死傷事故を参照)が発生し、開かずの踏切対策として周辺住民から竹ノ塚駅の高架化の要望が出ているが、地平に位置する当検車区への取り付けを考慮する必要があり、実現に向けたハードルは高いとみられていた。
事故から4年後となる2009年6月23日、東京都、足立区、東武鉄道は地元住民向けに説明会を開き、踏切解消の計画案を示した。この計画案によると、竹ノ塚 - 西新井間の下り急行線を高架化し、高架線の下をくぐらせる形で竹ノ塚駅から当検車区まで引込み線を設置することになっている。工事が完了すると、下り急行線に支障をきたすことなく車両の出入庫を行うことができるようになる。
近年の武蔵小金井駅のように車両基地所在駅を高架化する例は増えてきているほか、元住吉駅の例にみられるように狭隘な市街地を走る複々線区間の車両基地所在地であっても様々な困難を乗り越えて高架化を実現する例も出てきていて、竹ノ塚駅もそれらに続く形となった。
2011年12月20日、足立区は東京都から竹ノ塚駅の鉄道高架化の事業認可を受けたことを発表し、2012年11月4日に起工式を挙行した。
構造
- 伊勢崎線の西側に位置する。入出庫は竹ノ塚駅との間で行われ、入出庫時は下り急行線と平面交差する。区内での車両入れ替え用に、下り急行線に並行して引き込み線が西新井側へのびている。開設以来、ほぼそのままの状態で使用されている。
敷地面積:42,554m² 最大留置両数:152両(8両編成19本)
所属車両
沿革
- 1966年(昭和41年)7月15日 竹ノ塚検車区準備事務所発足。
- 1966年(昭和41年)9月1日 竹ノ塚検車区発足。
- 1967年(昭和42年)4月1日 以後、約1年間東西線車両の定期検査業務を実施。
- 1979年(昭和54年)11月 月検査を千住検車区に移管。
- 1995年(平成7年)4月 車両清掃を千住検車区に移管。
- 1996年(平成8年)4月 所属車両を千住検車区に移管。
- 2010年(平成22年)度 千住検車区に組織統合され、千住検車区竹ノ塚分室となる。
東西線5000系の定期検査
本検車区においては、日比谷線車両以外に1967年(昭和42年)4月より約1年間、東西線用の5000系の定期検査(全重要部検査)を施工した実績がある[3]。
東西線は1964年(昭和39年)に開業をしたが、東陽町延伸開業までは本格的な車両基地がなく、国鉄の三鷹電車区(現・JR東日本三鷹車両センター)の車庫の一部を借りるなどしていた。
5000系の定期検査を実施するにあたり、1966年(昭和41年)2月より千住工場で実施をしてきており、詳しい輸送方式は千住検車区の記述を参照願いたい。その後は1967年(昭和42年)4月より約1年間は本検車区で5000系車両の定期検査を実施した。1967年(昭和43年)には東西線に深川工場が設置され、この輸送方式は解消された。
注:当時の法定検査周期は重要部検査が1年6か月または走行距離25万km以内、全般検査は3年以内と、現在よりも大幅に短かった。