内田光子

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テンプレート:Infobox Musician テンプレート:Portal クラシック音楽 内田 光子(うちだ みつこ、Dame Mitsuko Uchida DBE、1948年12月20日 - )は、静岡県熱海市生まれ、英国籍のピアニストユニヴァーサル・ミュージック所属。福山賞受賞。第3回飛騨古川音楽大賞受賞。1986年度サントリー音楽賞受賞[1]。1990年ロイヤル・フィルハーモニック・ソサエティ・チャールズ・ハイドシェック特別賞受賞。1996年度朝日賞受賞。2001年、CBE(大英帝国勲章第3位)[2]。2005年文化功労者[3]。2009年、DBE(大英帝国勲章第2位)[2]。2011年第53回グラミー賞・最優秀インストゥルメンタル・ソリスト演奏賞受賞[4]。2012年ロイヤル・フィルハーモニック金メダル受賞[5]

略歴

早年期

お茶の水女子大学附属小学校在学中、桐朋学園の「子供のための音楽教室」にて、松岡貞子に学ぶ[6]。父内田藤雄外交官であったため、12歳で渡欧。1961年からオーストリアのウィーン音楽院(現:ウィーン国立音楽大学)でリヒャルト・ハウザーに師事する。同時期に、留学中の寺田悦子が同音楽院に在籍し、互いに切磋琢磨したという。その後も、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリヴィルヘルム・ケンプステファン・アスケナーゼニキタ・マガロフらの薫陶を受ける。 その後、一時帰国するが、再び渡欧。 ロンドンでは一時、マリア・クルチオなどにも師事する[7]が、プロの演奏家として真の自立を図るべく、その後一切特定の師に付かないことを決意。 なお、父である内田藤雄は、ショパン・コンクール(22歳)以後、一切の金銭的援助をしていないと語っている。

受賞歴

日本では、毎日音楽コンクールには入賞していないものの、1966年のミュンヘン国際音楽コンクールで第3位(1位なし)、1968年のエリザベート王妃国際コンクールで第10位、1969年ウィーン・ベートーヴェン国際コンクールで第1位[2]1970年ショパン国際ピアノコンクールで第2位銀賞[2]。1973年のルツェルン音楽祭でのクララ・ハスキル・コンクールで第2位、1975年のリーズ国際コンクール第2位、レーヴェントリット国際コンクールで第2位(1位なし本選会5人同列2位)となった。

ロンドンから世界へ

1971年、英国ウィグモア・ホールでの演奏会にて、ロンドン・デビュー。1972年に拠点をロンドンに移す。ヨーロッパを中心に活動するが、1970年代は不遇の時代であった。東芝EMIなどで細々と録音していたが、大手レコード会社からのオファーはなかった。日本では、演奏会を開くことすらままならず、父母がチケットを売りさばくことに苦心していた。自主開催や労音などのどさ廻りが中心で、金銭面では有難かったが不本意な時代だったと回想している。 1982年、東京文化会館とロンドンのウィグモア・ホールでのモーツァルト「ピアノ・ソナタ連続演奏会」が思いがけず評判を呼び、一躍楽壇の寵児となる。続いて1984年に、イギリス室内管弦楽団を自ら指揮しつつ演奏したモーツァルトピアノ協奏曲の全曲演奏会を契機に、フィリップスにモーツァルトのピアノ・ソナタとピアノ協奏曲を全曲録音。これら一連のチクルスは空前の大成功を収め、名実ともに「世界のウチダ」として、世界的な名声を不動のものとする。

世界のUchidaとして

1984年小澤征爾の指揮するベルリン・フィル定期演奏会(バッハメシアン)にデビューする。それ以降、世界の全てのメジャー・オーケストラの定期演奏会、そしてザルツブルク音楽祭プロムスタングルウッド音楽祭ルツェルン音楽祭などの世界的音楽祭の常連となった。 1991年、満を持して殿堂カーネギー・ホールにてデビューリサイタル。 最近では、子どものための演奏会、室内楽、マスタークラス、そして若手音楽家への支援に力を注いでいる。 そして、ボルレッティ-ブイトーニ財団の評議員をつとめ、リチャード・グードと共同でマールボロ音楽祭のディレクターもつとめている[8]。 2009年大英帝国勲章第2位を授与され、エリザベス女王よりデイムの称号を授かる[2]

レパートリー&レコーディング

レパートリーは、バッハからメシアンに至るまで幅広く、最近では、クルターグリゲティバートウィッスル、そして武満徹なども取り上げている。 現在までに、モーツァルトショパンシューベルトシューマンベートーヴェンドビュッシーシェーンベルクヴェーベルンベルクなどの作品を録音しており、米国グラミー賞[4]、英国グラモフォン賞[9]、BBCディスク大賞、日本レコードアカデミー賞[8]など、世界各国の賞を授与されている。

私生活

1972年以来、ロンドンに居住。私生活上でのパートナーは、「世界最高の知性100人」にも選ばれた、EU理事会対外・政治軍事総局長であるロバート・クーパー[10]

脚注

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外部リンク

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  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 テンプレート:Cite web
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  4. 4.0 4.1 テンプレート:Cite web
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  6. テンプレート:Cite web
  7. テンプレート:Cite web
  8. 8.0 8.1 テンプレート:Cite web
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