伊勢音頭
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伊勢古市の備前屋名物「伊勢音頭」の総踊り。玉蘭斎貞秀画。1847–52年ごろ。
伊勢音頭とは、伊勢神宮参拝の帰りに古市 (伊勢市)の遊郭へ上がった客らによって全国に広まった民謡。伊勢参りは、信心目的ばかりでなく江戸期には古市の遊郭や観光そのものが旅の目的ともなっていた。 「荷物にならない伊勢土産」とも言われ、伝えられた各地で作り替えられ普及した唄や踊りがある。主に祝い歌として歌われている事が多く、祭りなどの伝統行事、通過儀礼の席で歌われる事が多い。
歌詞
「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」という台詞で知られている。津は安濃津を含む伊勢の国の港、伊勢とは伊勢国を指すとされる。
また合の手に「やとこせ よいやな あらら これはいせ よいとこいせ」と入るが、これは伊勢木遣の囃子と同じである。
派生した各地の歌
- 博多祝い歌
- 花笠踊り唄
- まだら節
- 桑名の殿様
- 尾鷲節
- 三河万歳
- 伊予万歳
- 今治大黒舞
- 香川の伊勢道中唄
- 郡上節
- 帆柱起し音頭
- 山形大黒舞
- 秋田大黒舞
- 三吉節
- 津軽願人節
- 南部俵積み唄
- 広島木遣り音頭
亀の子踊り
古市では、遊女達による伊勢音頭の総踊りを亀の子踊りと言った。座敷の三方に迫り付きの舞台がコの字型に設けられ、多数の遊女たちがその上に並んで一斉に踊った(上掲浮世絵参照)。この舞台演出を考案したのは古市遊郭の備前屋が最初と言われ、古市の多くの妓楼で盛んに行なわれた[1]。少なくとも昭和初期までは備前屋と杉本屋に残っていた模様[2]。京都・祇園の都をどりは、この古市の亀の子踊りを参考に始められた。
脚注
関連
- 伊勢国-伊勢市-伊勢神宮-お蔭参り-古市
- 尾張国-名古屋市-名古屋城
- 西条祭り-愛媛県西条市、同市では小学生からお年寄りまで老若男女皆が伊勢音頭が唄える。
- 七度狐 落語の演目
- 伊勢音頭恋寝刃 - 歌舞伎の演目