今川駅 (大阪府)

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テンプレート:駅情報 今川駅(いまがわえき)は、大阪府大阪市東住吉区駒川三丁目にある、近畿日本鉄道(近鉄)南大阪線

駅構造

複線の通過線の両側に相対式2面2線ホームを持つ、待避設備を備えた高架駅。新幹線型の待避構造を持つ。したがって、2番線は古市方面行きの通過線、3番線は大阪阿部野橋行きの通過線。

なお、1987年に高架化前の地上駅時代は、単線の通過線の両側に相対式2面2線という構造の待避駅で、中央の通過線を上下列車とも使用する関係で優等列車はスピードを落として通過していた[1]。また、高架化工事中は上り線のみ待避線が設けられていた。高架化直後は待避線は敷設されておらず現在の通過線に仮ホームを設置しており、待避線と本設ホームは約1年半後に設置された。

ホーム有効長は6両。ホーム階(3階)の下に駅舎の入る階(2階)がある。改札口は1ヶ所のみ。。自動改札機オムロン製で、出場時2枚一括処理、PiTaPaICOCA対応の赤い自動改札機(U-PG)も設置されている。

のりば

1 テンプレート:Color南大阪線(下り) 藤井寺古市橿原神宮前吉野河内長野方面
4 テンプレート:Color南大阪線(上り) 大阪阿部野橋行き

※前述の通り、2・3番線はホームのない通過線のため、ホームとしては欠番である。

利用状況

2012年11月13日の1日乗降人員4,110人である[2]

近年の特定日における1日乗降・乗車人員は下表のとおりである。

年度 調査日 乗降人員 乗車人員 出典
2000年(平成12年) 5,843 2,878 [3]
2001年(平成13年) - - -
2002年(平成14年) - - -
2003年(平成15年) 5,382 2,647 [4]
2004年(平成16年) - - -
2005年(平成17年) 11月テンプレート:08日 5,244 2,612 [5]
2006年(平成18年) - - -
2007年(平成19年) - - -
2008年(平成20年) 11月18日 4,772 2,339 [6]
2009年(平成21年) - - -
2010年(平成22年) 11月テンプレート:09日 4,327 2,119 [7]
2011年(平成23年) - - -
2012年(平成24年) 11月13日 4,110 2,021 [8]

駅周辺

歴史

  • 1931年昭和6年)6月1日 - 大阪鉄道の北田辺 - 針中野間に駒川駅として開業。相対式2面2線の地上駅。
  • 1933年(昭和8年)4月1日 - 今川駅に改称。
  • 1943年(昭和18年)2月1日 - 関西急行鉄道が大阪鉄道を合併。関西急行鉄道天王寺線の駅となる。
  • 1944年(昭和19年)6月1日 - 戦時統合により関西急行鉄道が南海鉄道(現在の南海電気鉄道の前身。後に再独立)と合併。近畿日本鉄道南大阪線の駅となる。
  • 1987年(昭和62年)12月6日 - 路線高架化により高架駅となる。待避線は未設置で、仮ホームを使用。
  • 1989年平成元年)5月 - 待避線と本設ホームを設置し、中央に通過線のある現在の形態となる。
  • 2007年(平成19年)4月1日 - PiTaPa使用開始。

その他

当駅から西へ続く商店街の先に、阪神高速14号松原線の高架道路が見えてくる。この高架脇の側道は、かつての南海平野線の軌道跡であり、高架道と商店街との交点付近に田辺停留場があった。ちなみに平野線は、当駅開業に先んずること17年余前の1914(大正3)年の開業である。昭和の初めに当駅が出来るまで、このあたりで、電車で(大阪)市内[9] へ行くとは、平野線を利用するという意味だったといわれる。

脚注

  1. 同様の配線は西武新宿線中井駅にも見られる。
  2. 近畿日本鉄道|駅別乗降人員 南大阪線 吉野線
  3. テンプレート:PDFlink
  4. テンプレート:PDFlink
  5. テンプレート:PDFlink
  6. テンプレート:PDFlink
  7. テンプレート:PDFlink
  8. テンプレート:PDFlink
  9. 平野線開業当時の当駅付近は、東成郡田辺町。今でこそ住宅が密集する当駅周辺だが、当時の町の中心は平野線田辺駅周辺であり、当駅は田畑の真ん中だった。

隣の駅

近畿日本鉄道
南大阪線
テンプレート:Color急行・テンプレート:Color区間急行・テンプレート:Color準急
通過
テンプレート:Color普通
北田辺駅 - 今川駅 - 針中野駅

関連項目

外部リンク

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