京極高直
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テンプレート:基礎情報 武士 京極 高直(きょうごく たかなお)は、丹後田辺藩の第2代藩主。豊岡藩京極家2代。
初代藩主・京極高三の長男。寛永13年(1636年)、父の死去により跡を継ぐ。正保4年(1647年)、江戸増上寺の普請や江戸城修築などを務めた。承応3年(1654年)、隣藩である宮津藩主の京極高広と国境などをめぐって争う。高広と高直は伯父と甥でありながら仲が悪かった。藩政においては郷村支配の強化に努めている。
寛文3年(1663年)正月7日、田辺にて32歳の若さで死去した。このとき、家臣が5名ほど殉死している。それだけ高直は家臣を大切にしていたのかもしれないが、殉死の習慣が問題視されて幕府から殉死禁止令が出されたのは、高直の死後4ヵ月後のことであった。跡を長男の高盛が継いだ。