二条河原の落書
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(二条河原落書から転送)
二条河原の落書(にじょうがわらのらくしょ)とは、室町幕府問注所執事の町野氏に伝わる『建武年間記(建武記)』に収録されている文である。88節に渡り、建武の新政当時の混乱する政治・社会を批判、風刺した七五調の文書。専門家の間でも最高傑作と評価される落書の一つである。
概要
鎌倉幕府滅亡後に後醍醐天皇により開始された建武の新政が開始されてから程なく、建武元年(1334年)8月に建武政権の政庁である二条富小路近くの二条河原(鴨川流域のうち、現在の京都市中京区二条大橋付近)に掲げられたとされる落書(政治や社会などを批判した文)で、写本として現代にも伝わる。
編者は不詳、建武政権に不満を持つ京都の僧か貴族、京童であるとも言われているが、中国の『書経』・『説苑』由来と見られる文言や今様の尽くし歌風の七五調の要素を持つ一種の詩をかたどった文書であり、漢詩や和歌に精通している人物が書いたことは間違いないと思われる。また、後嵯峨院が治天の君の時代であった正元2年(1260年)に院の御所近くに掲げられた『正元二年院落書』を意識したとする見方もある。
ただし、内容を単に「建武政権批判」とするのは、事実と相違しており、混乱期の中で成長してきた武士や民衆の台頭や彼らが生み出した新たな文化や風習(連歌・田楽・茶寄合など)に対しても強い批判を示しており、落書の編者は「京童の代弁者」を装いながらも、実際には必ずしも民衆の不満の代弁者であった訳ではない。