亀屋みなみチェーン

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亀屋みなみチェーン (かめやみなみチェーン)は、青森県スーパーマーケットチェーン展開していた企業。本社は青森市にあった。

概要

スーパー部門では「亀屋(Kameya)」のほかにも「K・バリュー」や「食彩館」「タートルズ100(タートルズプラザ)」などを展開していた。
買い物金額に応じてグリーンスタンプがもらえるサービスを行っていた。

また、食料品店のみならず衣料品店「亀屋衣料館」、ドラッグストア「ワンダーK」、書店「BUZZ(バズ)」、子会社サークルケイ・ノースジャパンによりコンビニエンスストアサークルK」、1980年8月からは、ハンバーガーショップ「タートリアン・ハンバーガー」(のちに子会社、タートリアンに移管)などを展開していた。

さらに、青森市には「ジョイフルシティみなみ」を2店舗(かつての「みなみ百貨店」を閉店して開店した。このうち、東バイパス店はユニバースラ・セラ青森東バイパスショッピングセンター、西バイパス店はガーラタウン マエダ西バイパス店として現在は営業中。)、十和田市には「ジョイフルシティ十和田亀屋」(開店当初は「ファミリーデパート十和田亀屋」で営業。長い間、空き店舗状態が続いていたが、2006年8月には解体される事が決まった。なお、跡地はホテルルートイン。)、野辺地町には「ジョイバリュー」(現在のマックスバリュ野辺地店)等、大型店舗も展開していた。

毎年同時期に、オリジナル商品が抽選で当たるキャンペーン「お買い物大作戦」を実施し、テレビCMも多く放映していた。

しかし、2000年に開店したジョイフルシティみなみ西バイパス店の売り上げが当初の予想をはるかに下回るなど経営不振に陥り、2001年10月に民事再生法の適用を申請、事実上倒産。当時青森県最大手のスーパーマーケットだっただけに県内には衝撃が走った。その後協同組合セルコチェーンに譲り受けが決定したが、わずか一カ月余の短期間で民事再生手続き廃止の決定がなされた。その主な理由としては、再生手続き中にも関わらず重要な経営情報を開示せず、曖昧な報告を繰り返す亀屋側の姿勢に裁判所側が不信感を募らせたのが要因と言われている。これにより青森地方裁判所が再生手続廃止の決定を行い、2002年1月に破産。店舗は2001年12月中に歳末商戦を待たずして全て閉店となった。その後、マックスバリュ東北などの同業者が閉店した店舗と従業員の一部を譲り受け[1]、営業を再開した店舗がほとんどだが、一部では引き取り手が何年も経っても現れず用地の他の用途への利用等の為に取り壊されたものもある。

なお、倒産直前に企業年金(適格退職年金)を解約し、従業員に支払われた返戻金を会社に回収し運転資金に流用した。その後倒産した為、従業員は仕事と退職金の両方を失う事態となった。本件は裁判となり、後に返戻金を(一般債権より優先順位の高い)労働債権とする事で和解している。

沿革

  • 1951年(昭和26年)10月 - 南勘二が家業から独立してみなみ洋品店を創業。
  • 1962年(昭和37年)3月 - 株式会社亀屋を設立。
  • 1982年(昭和57年)11月 - 有限会社八戸亀屋と株式会社亀屋みなみを合併、株式会社亀屋みなみチェーンに商号変更。
  • 1986年(昭和61年) - 株式会社サークルケイ・ノースジャパン設立。
  • 1988年(昭和63年) - みなみ百貨店閉店。
  • 19xx年 - 旭ヶ丘店(八戸市)を亀屋衣料館へ業態転換。
  • 19xx年 - 吹上店(八戸市)閉店。
  • 19xx年 - 上組町店(八戸市)閉店。
  • 19xx年 - 亀屋衣料館の湊高台店(八戸市)を開店。
  • 19xx年 - 旭ヶ丘店閉店。
  • 1990年(平成2年)4月26日 - ジョイフルシティみなみ(東バイパス店)開店
  • 1997年(平成9年) - 株式会社東北経済開発機構設立。
  • 2000年(平成12年)6月23日 - ジョイフルシティみなみ西バイパス店開店
  • 2001年(平成13年)10月22日 - 青森地裁に民事再生法の適用を申請。
    • 11月 - 再生手続開始決定、協同組合セルコチェーンが支援表明。
    • 12月11日 - 再生手続廃止決定。
  • 2002年(平成14年)1月10日 - 破産宣告。
    • また時期は不明ではあるが、八戸市では、多賀台団地西口に店舗があった(後に河原木地区に移動)。

旧亀屋の店舗を譲り受けた主な企業

脚注

  1. マックスバリュ東北が亀屋みなみチェーンの店舗を譲度することに関する情報(ニュースリリース)
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