九鬼隆棋
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九鬼 隆棋(くき たかよし、明和2年(1765年) - 天明7年1月30日(1787年3月19日))は、丹波綾部藩の第6代藩主。
老中として権勢をふるった遠江相良藩主・田沼意次の七男。正室は九鬼隆貞の娘。官位は従五位下。大隅守。
安永8年(1779年)、先代藩主・隆貞の養子だった隆晁が早世したため、同年隆貞の婿養子となる。天明元年(1781年)3月12日、養父隆貞の死去により、丹波綾部藩1万9,500石[1]の家督を継いだ。同年3月15日、将軍徳川家治に拝謁する。天明2年12月18日、従五位下大隅守に叙任する。天明7年(1787年)1月30日に23歳で死去し、跡を隆貞の実子で養子の隆郷が継いだ。法号は花岳了芳青雲。
註
- ↑ 山田忠雄「田沼意次の政権独占をめぐって」1972年4月(『史学44(3)』慶應義塾大学)