中華民族
テンプレート:Chinese 中華民族(ちゅうかみんぞく)という用語は、一つには中華民国、中華人民共和国の国籍を持つ全ての文化的集団(エスニック・グループ)を統合した政治的共同体(ネーション)を表す概念であるテンプレート:要出典。中国共産党は漢族だけでなく、蒙古族、チベット族やウイグル族などの少数民族も含むとしている[1]。
中国共産党によって中華民族に属すると定められた人々が居住する地域を中国の一部であると解釈することにより、そのような人々や地域を武力で併合していく侵略主義であるとして問題視する見方もある[1]。
概念の形成
満州人が建国した清王朝末期(20世紀)に漢民族が「駆除韃虜、回復中華」をスローガンに掲げて辛亥革命と呼ばれる中国本土独立運動を行った[1]。辛亥革命が成功すると漢民族は「五族共和」を提唱し、1912年1月1日に孫文が臨時大総統就任宣言で「漢満蒙回蔵ノ諸他ヲ合シテ一国トナシ、漢満蒙回蔵ノ諸族ヲ合シテ一人ノ如カラントス」[2]として清王朝の支配下にあった地域を統合しようとし、1921年に孫文は三民主義の具体的方策の中で「漢族ヲ以テ中心トナシ、満蒙回蔵四族ヲ全部我等ニ同化セシム」[3]として満州人・モンゴル人・ウイグル人・チベット人を同化することを提唱した[1]。1925年には孫文は、外来民族は一千万しかいないとして、4億人のほとんどが漢民族であるので中国人は完全な単一民族であるとした演説を行っている[1]。このような経緯から漢民族によって中華民族という概念が形成された[1]。
「中華民族」という単語が初めて公式に出てくるのは、1900年11月、清の政治家伍廷芳の講演とされる。その後、清時代のジャーナリストの梁啓超などが使用するようになる。梁啓超の著作では、1905年に書かれた歴史上中国民族之観察では、満州族やモンゴル族、チベット族は中華民族に含まれないとしているが、1922年の「中国歴史上民族之研究」では満州族を中華民族に含むとしている。1988年、費孝通が発表した「中華民族多元一体構造」論では、中国に住む諸民族は、数千年の歴史を経て形成された一体性を有するとしている[4]。この「中華民族多元一体構造」は現在の中国の民族政策の基本路線を成すとされる[5]。
現在、中華人民共和国にて中華民族とは、「中華人民共和国国内に居住し、中国国籍を有する者」として「中華民族=中華人民共和国国籍」と定義する一方、「黄河は中華民族の揺り籠」「中華民族は炎黄子孫」など、「中華民族=漢民族」と定義してその場に合わせた解釈を繰り返し、決まり文句が「中華民族は一体である」という政治的な意味を込めて広く用いられている。テンプレート:要出典
中華人民共和国は世界最大の多民族国家であったソビエト連邦が掲げたソビエト民族、ニューソビエト人、ホモ・ソビエトといったソビエト型国籍政策をモデルにさせているともいわれるが、文明を基盤とさせている点で後者と差異がある。テンプレート:要出典
一方「漢民族」という意味における「中華民族」は、中国のみならず、シンガポール、華僑など、広く華人社会において受け入れられ、自称として使われてもいる。テンプレート:要出典
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 テンプレート:Cite web
- ↑ 孫文全集
- ↑ 孫文全集
- ↑ テンプレート:Cite news
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