レイモンド・フランズ
レイモンド・フランズ(Raymond Franz. 1922年5月8日 - 2010年6月2日 )は、元エホバの証人で、教団(組織)の法人団体『ものみの塔聖書冊子協会』(WATCHTOWER Bible and Tract Society)のニューヨーク本部に君臨する、全世界の最高指導機関である統治体の構成員のひとりでもあり、"144000人の油注がれた王"という天的権威に与る選ばれし者のひとりでもあった、後に教団を脱会した人物。彼の著書『良心の危機-「エホバの証人」組織中枢での葛藤』は、エホバの証人からは背教的であるとされ、信者たちは読むことを禁じられている。レイモンド・フランズの排斥(破門)の知らせは、世界中の信者たちに大きな衝撃を招いた。
経歴
1922年5月8日アメリカ合衆国ケンタッキー州デイトン生まれ。フランズ家はこの宗教の草創期からの信者で、祖父母のうち3人までが「聖書研究生」として、ものみの塔宗教(Watchtower religion)の創始者チャールズ・テイズ・ラッセルと親交があった。もちろん彼の両親もエホバの証人であり、親族にも多くの信者が居る。 ちなみに、彼の叔父にあたるフレデリック・ウイリアム・フランズは、エホバの証人の法人団体である「ものみの塔聖書冊子協会」の世界本部で第4代会長(President)を務めた人物である。
1939年浸礼(バプテスマ)を受け正式に入信。1940年高校を卒業すると同時に布教活動に入る。全米各州で精力的な布教活動を行うとともに、徐々に教団の内部で確実にその地位を上げ、指導監督的立場になっていった。
1946年プエルトリコの支部監督に就任、カリブ海の諸国で布教活動を監督する。1959年に結婚。 1965年ニューヨーク市ブルックリン区にある、「ものみの塔聖書冊子協会」の世界本部に招かれ、教団の執筆委員となる。ここで教団の文書の執筆を担当。特に『聖書理解の助け』と題する聖書辞典(ものみの塔聖書冊子協会刊・英文)の編纂に携わる。
1970年統治体(教団の最高指導機関)のメンバーに就任。しかしながら、教団の教義及び行動に批判的であるとの理由から、1981年に排斥(破門)処分を受け脱会。(この際、巡回監督など教団の世界本部にいる指導監督的立場の信者数名が、彼と共に排斥(破門)処分を受けている)
1983年自己の体験と教団の内情を綴った『良心の危機』を出版。次いで、1991年『キリスト者の自由を求めて』を出版。
- 『良心の危機-「エホバの証人」組織中枢での葛藤』の日本語訳については、せせらぎ出版より発行されている。(ISBN 4884161025)
その他
これと類似した事例では、1986年に日本の北海道北広島市で起こった「広島会衆・大量排斥事件」 [1]、また1988年の兵庫県神戸市の「神戸市明舞会衆・集団離脱」[2]が関係者の間で知られている。
脚注
関連項目
- エホバの証人
- エホバの証人の組織構造
- ものみの塔聖書冊子協会
- 人類の友 - ラッセルの後継者を巡ってスイスで起きた造反事件から。
外部リンク
- エホバの証人情報センター保管庫(レイモンド・フランズ-エホバの証人最高指導者の人生の軌跡とその信仰)
- 淀川のほとり『良心の危機』のページ(『良心の危機』の翻訳者・樋口氏のHP)テンプレート:Asbox