マーク・ロスコ
マーク・ロスコ(Mark Rothko, 本名 Markus Rotkovich[1], 1903年9月25日 - 1970年2月25日)は、アメリカの画家。ジャクソン・ポロック、バーネット・ニューマン、ウィレム・デ・クーニングらとともに、抽象表現主義の代表的な画家である。
概要
1903年、当時ロシア帝国領だったラトビアのドヴィンスクにユダヤ系の両親のもとに生まれた。1903年から1906年にかけ反ユダヤ襲撃ポグロムが盛んとなり。そのため一家は1913年にアメリカ合衆国オレゴン州ポートランドに移住した。
奨学金を得て、1921年から1923年までイェール大学で学ぶが中退。1923年にニューヨークに移住し、アート・スチューデンツ・リーグを訪れ、ヌードデッサンのようすを見て美術の世界に入ることを決心したという。だが2ヶ月程で辞め、ポートランドに帰省。ヨゼフィーン・ディロンが主宰する劇団で役者の修行をする。同じ劇団にはクラーク・ゲーブルが所属していた。1925年再びニューヨークに移り、ニュー・スクール・オブ・デザインに入学してグラフィック・デザインを学んだ。 1933年、ポートランド美術館で初の個展を開催。この頃の作風はサルバドール・ダリ、ジョアン・ミロなどのシュルレアリスム絵画の影響の濃いものであった。
独自のスタイルを確立するのは1940年代の末ごろである。クレメント・グリーンバーグらの高い評価により、一躍有名になった。そしてニューヨークのシーグラムビルのレストランの壁画を依頼され、約40枚の連作(シーグラム壁画)を制作した。しかし友人に譲った作品が売りに出されるという事件をきっかけに、自分の作品が世間に理解されていないと考えるようになり、前渡しされた購入金を全額返却して納入を拒否した。その後、いくつかの美術館が作品の買い取りを申し出たが、ロスコが全部を一つの空間で展示することにこだわったため難航し、結局彼の死後、世界の3つの美術館(ロンドンのテート・モダン(テート・ギャラリー)、ワシントンD.C.のフィリップス・コレクション、千葉県佐倉市のDIC川村記念美術館)にわかれて収蔵された。
DIC川村記念美術館には、マーク・ロスコ専用の「ロスコ・ルーム」が用意されており、7点のシーグラム壁画による静謐な空間を体験することができる。
晩年には、ヒューストンの美術館メニル・コレクションの近郊にある「ロスコ・チャペル」の壁画に取り組んだ。
彼は壁に自分の作品だけを展示し他人の絵を並べてほしくないと望んだ。
1970年に病気(大動脈瘤)や私生活上のトラブルなどの理由で自殺。66歳であった。
関連
- カート・ヴォネガットの小説『青ひげ』のモデルとも言われている。
注釈
- ↑ 英語化した形では Marcus Rothkowitz とも。
参考文献
- マーク・ロスコ『ロスコ 芸術家のリアリティ――美術論集』 クリストファー・ロスコ (編集)、中林和雄 (翻訳)、みすず書房、2009年。