マルティン・シュルツ
テンプレート:政治家 マーティン・シュルツ(Martin Schulz, 1955年12月20日)は、ドイツの政治家。ドイツ社会民主党所属。1994年から欧州議会議員。2012年1月より欧州議会議長。2004年の欧州議会議員選挙以降2012年まで、欧州議会の政治会派である社会民主進歩同盟の代表を務めていた。
学生時代・書店経営者時代
1962年から1966年まで小学校に通ったあと、シュルツはヴュアゼーレンにあるハイリヒ=ガイスト=ギムナジウム (Heilig-Geist-Gymnasium) で9年間の学生生活を過ごす。その後、1975年から1976年まで書店経営を学ぶ。
その後の5年間は出版社や書店を渡り歩いて経営を学ぶ。1982年にヴュアゼーレンに自らの書店を開くと、1994年まで経営を続けた。
政界入り
1979年、19歳のシュルツはドイツ社会民主党に入党し、社会主義青年団体ユーノスに参加する。1984年、シュルツはヴュアゼーレン市議会議員に当選し、1998年までにあわせて2回の当選を果たす。また1987年からは市長を務める。31歳という若さは、当時のノルトライン=ヴェストファーレン州内の市長としては最年少であり、その後1998年まで市長を務めた。
市長在任中、シュルツは温泉娯楽施設 Aquana の建設を手がけた。しかしこのシュルツが行なった事業は、市の財政状況に与えた影響から長らく批判の対象となっている。
1994年の欧州議会議員選挙で当選し、活動の場を欧州議会に移した。2000年から2004年までシュルツは欧州議会の会派である欧州社会党グループのドイツ議員団の団長を務める。2004年の選挙後にはスペインのエンリケ・バロン・クレスポの後を受けて院内会派の代表となる。
ベルルスコーニとの対立
2003年7月2日、欧州議会内で事件が起こる。当時議員にすぎないシュルツが、イタリアの首相シルヴィオ・ベルルスコーニが政府の長でありながらメディアの経営者でもあることを取りあげ、ベルルスコーニを「利害競合のウィルス」であると厳しく非難した。これに対してベルルスコーニはシュルツに、イタリアで撮影される映画で強制収容所の看守役を勧めた。この欧州議会でのやり取りにおけるベルルスコーニの発言は冗談として認識されている。これはアメリカのコメディ番組 Hogan's Heroes に出てくる捕虜収容所の看守の名前シュルツ (Schultz) とシュルツ (Schulz) が似ていることにかけたものと理解されたからである[1][2]。
欧州議会議長
2009年の欧州議会議員選挙後、シュルツはジョゼ・マヌエル・ドゥラン・バローゾの欧州委員会委員長再任をただちに承認することを阻み、欧州緑グループ・欧州自由連盟のダニエル・コーン=ベンディットとともにオランダ出身で欧州自由民主同盟グループ代表のヒー・フェルホフスタットを委員長候補として擁立した[3]。ところがその後、シュルツは再任反対を撤回し、バローゾが社会民主進歩同盟の提示する条件を受け入れることを要求した[4]。これに応じて、欧州人民党グループと社会民主進歩同盟とのあいだで合意が交わされ、2012年の欧州議会議長選挙でイェジ・ブゼクの後任に、欧州人民党グループがシュルツを支持することとなった[5]。
脚注
外部リンク
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イェジ・ブゼク
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第29代:2012 -
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(現職)
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