ボリス・ティシチェンコ

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テンプレート:Portal クラシック音楽 ボリス・イヴァノヴィチ・ティシチェンコまたはボリース・イヴァーノヴィチ・ティーシチェンコБори́с Ива́нович Ти́щенко, Boris Ivanovich Tishchenko, 1939年3月23日 - 2010年12月9日)はロシア作曲家

来歴・人物

レニングラード(現サンクトペテルブルク)生まれ。レニングラード音楽院ドミートリイ・ショスタコーヴィチガリーナ・ウストヴォーリスカヤ他に学んだ。1965年にレニングラード音楽院の教職に就き、1986年に教授に就任。一番成功した弟子に入野賞受賞者のボリス・フィラノフスキがいる。

ショスタコーヴィチの証言」で知られるソロモン・ヴォルコフをショスタコーヴィチに紹介したのはティシチェンコであった。思想的、哲学的内容を感じさせるような音楽を書こうとする傾向は師であるショスタコーヴィチを受け継いでおり、また、非常に音量の大きな音塊を使う点にロシアの血筋が感じられるが、この系統はアレクサンドル・モソロフが始めたもので、ティシチェンコの作品を「ポスト・モソロフ」という事も可能ではある。

大学院時代に書かれた「チェロ協奏曲第1番」は、当初は独奏以外に17管楽器と打楽器、ハーモニウムという編成であったが、編成の特異さから演奏機会が少ないことを嘆いたショスタコーヴィチによって通常の管弦楽版が作成された(作品134a)。ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番は、この曲からの影響で作曲されたとも言われている。ちなみにチェロ協奏曲第2番もまた48のチェロ、12のコントラバスに打楽器というかなり異様な編成である(ただし作曲者自身による通常の管弦楽版もある)。

「チューブラー・ベルを伴うピアノソナタ第7番」(1991年にNHK「現代の音楽」で日本に紹介された)はチューブラー・ベルが音数を一音ずつ増やしつつクレッシェンドし、最高潮に到達したところでピアノのクラスターと和音が弔鐘のようにゆっくりと連打される(その逆もアリ)。一種の宗教的な雰囲気をかもし出すものの、ピアノソロになった部分では突如としてドミソの三和音連打でおなじみの新古典的展開が始まり、楽曲の統一が取られない点に、当時のソ連の体制によって自由な創作を制限された音楽家の状況が垣間見られるが、これをアルフレート・シュニトケポリスタイリズムと同様のものと見ることもできる。

作曲家本人もピアノの名手であるが、ピアノソナタの録音はほぼ別のピアニストを雇っている。21世紀に入り、ピアノソナタ全曲をクリアしたピアニストの手によって、最も質の高いCDが制作された。

2010年12月9日、長い闘病生活の末にこの世を去った[1]

作品

  • 交響曲 第1番 Op.20(1961年
  • 混声合唱とオ-ケストラのための交響曲 第2番 Op.28 "Marina"(1964年
  • 室内管弦楽のための交響曲 第3番 Op.36(1966年
  • ナレーションを伴うフルオーケストラのための交響曲 第4番 Op.61(1974年
  • 交響曲 第5番 Op.67(1976年
  • ソプラノ、コントラルトとオーケストラのための交響曲 第6番 Op.105(1988年
  • 交響曲 第7番 Op.119(1994年
  • チェロと17の管楽器、打楽器とハーモニウムのための協奏曲(チェロ協奏曲第1番) Op.23(1963年
  • ハープ協奏曲 Op.69(1977年
  • ピアノのための組曲 第1番 Op.4(1957年
  • ピアノのための組曲 第2番 Op.6(1957年
  • ピアノソナタ 第1番 Op.3(1957年
  • ピアノソナタ 第2番 Op.17(1960年
  • ピアノソナタ 第3番 Op.32(1966年
  • ピアノソナタ 第4番 Op.53(1972年
  • ピアノソナタ 第5番 Op.56(1973年
  • ピアノソナタ 第6番 Op.64(1976年
  • チューブラー・ベルを伴うピアノソナタ 第7番 Op.85(1982年
  • ピアノソナタ 第8番 Op.99(1986年
  • ピアノソナタ 第9番 Op.114(1992年
  • ピアノソナタ 第10番 Op.124(1997年)(ピアノのための組曲 第1番 Op.4の改訂版)

脚註

テンプレート:Reflist
  1. Ушел из жизни народный артист России, лауреат Государственной премии композитор Борис Тищенко タス通信 2010年12月10日付