ボスマン判決
ボスマン判決(―はんけつ、テンプレート:Lang-en-short)は、1995年12月に欧州司法裁判所で出された判決で、ヨーロッパ連合(EU)に加盟する国(2004年5月1日現在で25カ国)の国籍を持つプロサッカー選手が以前所属したクラブとの契約を完了した場合、EU域内の他クラブチームへの移籍を自由化(つまり契約が完了した後はクラブが選手の所有権を主張できない)したもの。また、EU域内のクラブチームは、EU加盟国籍を持つ選手を外国籍扱いにできないとした。
経緯
ボスマン判決の由来となったジャン=マルク・ボスマン(Jean-Marc Bosman)は、ベルギーリーグ2部のRFCリエージュの選手であったが、1990年同クラブとの2年契約が完了し、その後オファーのあったフランス2部リーグのUSLダンケルクに移籍しようとした。ところがRFCリエージュがこの移籍に難色を示しボスマンの所有権を主張して移籍を阻止しようとした。これに対してボスマンはクラブに対して所有権の放棄を求めてベルギー国内の裁判所に訴え出た。この訴訟はボスマンの全面的な勝訴に終わった。
ここまでであればボスマンとRFCリエージュだけの問題で終わっていたのだが、ボスマンは更にヨーロッパサッカー連盟(UEFA)を相手取って
- クラブとの契約が完全に終了した選手の所有権を、クラブは主張できない(つまり契約が終了した時点で移籍が自由化される)事の確認
- EU域内であればEU加盟国籍所有者の就労は制限されないとしたEUの労働規約を、プロサッカー選手にも適用するべきである
とする内容の訴えを欧州司法裁判所に起した。
この訴訟は様々なプレッシャーを受けながらも、結局ボスマン側の勝訴に終わり上2点の要求は完全に認められた。これによりボスマンは、サッカー選手としてのキャリアに華々しさは無いものの、1990年代後半以降のヨーロッパのサッカーシーンにおいて最も有名なサッカー選手の一人となった。
影響
ボスマン判決以降、クラブにとっては従来の移籍金によるビジネスを行う事は難しくなった。現在では、5年や6年という長期間の契約を結んで、残った契約を買い取ってもらう方法で実質的な移籍金を得ている。逆に選手側では、移籍のハードルを低くするために長期の契約を結ばない者もいる。
一方で、EU域内の選手保有が制限されなくなった事を受けて、EU内のビッグネームの選手をかき集める事も可能になり、選手の流動化、リーグのマネーゲーム化、国際化が急激に加速することになった。ただし、こうした強化策が可能なのはごく一部のクラブに限られている。
2005年4月には、EUでの労働条件についてEU協約を結んでいるEU域外諸国(ロシアなどの東ヨーロッパ諸国、およびイギリスやフランスの旧植民地であったアフリカ諸国の多くがこの協約を結んでいる)についても、ボスマン判決が適用される旨の判決が欧州司法裁判所で下された。