ホーネット (タミヤ)
ホーネットとは、1984年10月、田宮模型(現・タミヤ)製グラスホッパーの上級モデルとして登場したラジコンカーである。
概要
シャーシにABS樹脂製バスタブを用い、大半のコンポーネンツはグラスホッパーと共有するが、このホーネットの売りはなんと言ってもリヤサスペンションにあった。
グラスホッパーは簡素かつ頑丈なリジッドアクスル・ユニットスイング(ピザの宅配などで用いられる3輪原動機付自転車(スリーター)のリアと同じ)を用いていたが、緩衝にバネのみでダンパーを持たず、おまけに縦運動しか出来ないという低性能なものであった。これがホーネットでは、オイルダンパー装着となり、加えてギアボックス前部の支点を上下可動とすることで、ロール方向の動きも可能にした「ローリングリジッド」方式とした。
フロントサスペンションもグラスホッパー同様ストラット方式であったが、ゴムの摩擦を利用した「フリクション(摩擦)ダンパー」を装着していた。これだけでもフロントの安定感がかなり向上したという。
ボディ材質も変更され「ポリカーボネート」製となり、グラスホッパーで不評だった整備性も大幅に向上した。また約100gの軽量化にも貢献した。
当時一般的だった540モーター(グラスホッパーは380モーター)を標準で搭載しており、軽さに加えやや低めに抑えられたギア比と相まってべらぼうな速さを誇った(構造上ギア比は変更不可能であったが)。ボールベアリングこそ装備されなかったものの、これだけの内容で9,800円というグラスホッパーの+αの価格で販売された。
ちなみに1991年に生産終了するまで約7年間、累計生産台数約80万台、総販売台数約30万台というロングセラーモデルであった。
それから13年後の2004年9月、キッコーマン万上焼酎トライアングルの20周年キャンペーン懸賞商品として復刻され、当時を懐かしむユーザーから大反響を呼んだ。その後、2004年12月7日よりタミヤから復刻版の販売が開始された。その姿は、ユーザーの思いに応えるかのように、ほぼ当時のままであった。2005年1月上旬には、タミヤ主催のワンメイクレースも開催された。
メカニズム
- シャーシ:ABS樹脂製バスタブモノコック構造
- サスペンション:F / ストラット独立懸架、ラバーリング・フリクションダンパー付きコイルスプリング R / ローリングインクルーデッド・リジッドアクスル・ユニットスイング、コイルオーバー・オイルダンパー
- タイヤ/ホイール:F / 直線グルーブド、R / スーパーグリッパー・スパイク、F/R共に3ピース構造
- 原動機:電気直流モーター、マブチ・RS-540
- ギアレシオ: 8.1:1(変更不可)
- ボディ:ポリカーボネート製・真空成形モノコック構造
- 駆動形式:横置きミッドシップモーター・リアドライブ
- 乾燥重量(コントロール装置・バッテリー除く):930?g
- 販売期間:1984年10月~1991年×月 累計生産台数約800,000台 総販売台数約300,000台
- 価格:9800円(当時)・9800円(復刻)
当時の機械式スピードコントローラー
ホーネット登場当時はまだ現在のような電気式の「スピードコントロールアンプ」等は広く普及しておらず、一般的にはステアリングを切るサーボモーターの他にもう一基サーボモーターを搭載し、これが3~4速に分けられたコントロールスイッチをロッドを介し作動させることでスピードを制御していた。しかしこれの性能が低く、下手をするとサーボがしっかり戻らずスイッチが入ったままになり、暴走してしまうことが多かった。
さらに厄介なことに、バッテリーを接続しスイッチを入れたまま狭い棚などに入れておいたため、妨害電波などでスイッチが入ってしまいショートを起こし、モーターやレジスターが発熱炎上、火災事故に至ったというケースがあった(当時、ニュースでその状況を再現するのに、よりによってこのホーネットで実験していたようである)。
また、低速走行を続けるとレジスターが焼け(レジスターでバッテリーの電流を無理矢理抑えていた、当然電圧がそのままだったため長くそのまま走るとレジスターにムリが掛かってしまう)走行不能となったり、熱でプラ部分が変形したり、発熱したのを触ってしまい火傷を負うということも稀ではなかった。そう考えると、現在のラジオコントロール・システムがいかに高性能で「安全」であるか分かるだろう。
ホーネットの走行性能
軽さを生かし、かなり軽快な走りとトップスピードの伸びを見せた。しかしそれはノーマル状態での話で、いざモーターを高性能なものに載せ変えるととたんに扱いにくくなるマシンだった。当時は速度調節に機械式のスピードコントローラーを用いており細かい操作が出来なかったため、急にスロットルを入れるとホイルスピンが激しく、コーナーでは酷いアンダーステアや巻き込みに悩まされるユーザーも多かった。ギアボックスを加工しない限りギア比の変更がきかなかったため、単純に「速さ」を求めるとどうしても高性能なモーターに頼らざるを得なかった。
サスペンション
リアにローリングリジッドを採用したは良かったものの、ギアボックスの前端を上下可動とし弱いバネで押さえていたが、これが悪さをして停止状態から加速しようとするとギアボックス前部がガコッと持ち上がり(実車で言えばエンジンマウントがまるでガタガタ状態のような)、加速していたためどうしても他のマシンにスタートで一歩出遅れることが多かった。またモーターケース後部がダンパーに干渉しかかるほどで、下手をすれば前部の取り付けが磨耗し最悪モーターがダンパーを叩き折るというトラブルも少なからずあったであろう。
また、原動機付自転車と同じ構造のユニットスイング式であったため、バネ下重量がかなり重く(ダンパーの反発力とギアボックスの重み、それにモーターの回転力が加わってサスペンション全体が常に引っ張られていた)、オイルダンパーを持っていたとは言えその作動性能は決して良い物とは言えず、グラスホッパーの様なヒョコヒョコした走りは相変わらずであった。
重心バランス
ホーネットは2WDバギーである。当然駆動する後輪に加重が掛かるべきであるが、このホーネットはバッテリーを縦置きで、しかもシャーシ底部で左寄りに搭載するため、必然的に前寄りの重心となってしまった。
後輪には無理にでもグリップを確保しようと見るからにサボテンのようなピンスパイクタイヤを履いていたが、それでもやはり急にスロットルを抜いたりすれば一発でオーバーステアに移行することが多かった。
悪路走破性
ホーネットはバギーマシンであるから悪路走破などできて当然なはずであるが、なんとフラットダート以外を非常に苦手としていた。
ホーネットの最低地上高はわずか1cmほど。しかもそこがリジッドサスペンションであるリアのギアケース下であり、ここがかなり出っ張っていた。シャーシ地上高が3cm程あるにも関わらずである。公園などに持ち込めば木の実などがギアボックス下に引っかかるため安定しないどころか、デフギアのおかげでスリップしてまともに走れず、砂場ではタイヤが潜り込み、草地ではタイヤやシャフトに草が絡んでしまうなどの問題があったために、障害物の少ない悪路をしっかり選ぶ必要があった。しかし、平坦なダートでは伸びのいい加速と軽快な走りを見せ付けてくれた。
耐久性
シャーシがABS樹脂製バスタブであったことに加え、フロントとサイドに弾性樹脂の大型バンパーを装着し万が一の衝突にもしっかり耐えていた。しかしフロント足回りが妙に貧弱で、ジャンプで下手に着地するとかなりの確率で損傷していた。また、シャーシと一体のダンパーマウントもねじ折れる事が多く、下手をすればシャーシ全交換というケースも珍しくなく、安かったとは言え当時の少年達の小遣いではやはり厳しかった。
特にタイロッドはピロボールにネジ式のロッドにねじ込んだ樹脂パーツをかませているが、これがちょっと指で力を入れただけで抜けるため、走っているといつの間にか外れてタイヤを引きずっていたり、急にロッドが折れてコントロールが効かず暴走状態に陥るケースもあった(もっともこれは同社から対策パーツが販売されたが)。しかしフロント周りは簡素な作りだったので交換も容易だった。
またシャーシ下部のバッテリーケース蓋が使っているうちにダレて爪が引っかからずジャンプ等で突然外れてバッテリーが脱落したり、そうならなくともいつの間にか蓋が外れてバッテリー脱落、引きずったままになるというトラブルも頻発した。この対策法が当時のラジコンカー雑誌に記載されていたそうであるが、多くはガムテープを貼り付けるという手法を取っていた。
ボディ換装
ホーネットは、『月刊コロコロコミック』で人気のあった漫画「ラジコンボーイ」に登場するスーパードラゴン、ファイヤードラゴン、サンダードラゴンのベース車両にも選ばれさらに人気を博した。当時の主力であったホットショットやブーメラン等を押しのけてのことだったのでここでも基本性能の高さが証明された。後に4WDのサンダーショットにその座を奪われるまで活躍した。