ブルガリア君主一覧

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本項目では、ブルガリア君主を掲げる。君主の称号は、はじめはハーン(汗)、キリスト教化したボリス1世のときから王(クニャス)、次いでシメオン1世のときから皇帝(はじめはギリシャ語の”バシレウス”、後にスラヴ語の“ツァール”)が用いられた。一般に「ブルガリア王国」と呼ばれる近代ブルガリアでも、独立後の君主の称号は皇帝(ツァール)であった。

  • 年号は、在位年を示す。ただし、8世紀頃までのハーンたちの在位年はおよそである。

伝説上の君主


第一次ブルガリア帝国(681年 - 1018年)

ドゥロ家(Дуло)

-君主号・カン(汗, Кан)

681年、アスパルフは東ローマ帝国コンスタンティノス4世と講和を結び、自治と植民を認められる。

ヴォキル(ウキル)家(Вокил)

-君主号・カン(汗, Кан)

ドゥロ家(クルム家 Крум)

-君主号・カン(汗, Кан, -864年)/ 王(Княз, Knjaz, 864年-913年)/ 皇帝(Цар, Tsar, 913年-1018年)

913年、皇帝(Цар, Tsar / Василевс = Βασιλεύς)即位。

サムイル家(Самуил)

コミトプリ家(Комитопули, Komitopuli「伯の息子達」)~「西ブルガリア王国」ないし「(中世)マケドニア王国」-君主号・皇帝(Цар, Tsar, 976年-1018年)

東ローマ帝国支配・「テマ・ブルガリア」,1018年-1185年

サムイル家の血をひく反乱指導者

第二次ブルガリア帝国(1185年 - 1396年)

アセン家(Асеневци)

-君主号・皇帝(Цар, Tsar)

テルテル家(Тертеровци)

-君主号・皇帝(Цар, Tsar)

シシュマン-アセン家(Шишмановци-Асеневци)

-君主号・皇帝(Цар, Tsar)

(1393年ヴェリコ・タルノヴォ1396年ヴィディン陥落、以降オスマン帝国支配-1878年)

大ブルガリア公国(1879年 - 1908年)

1878年サン・ステファノ条約によってブルガリアに自治権が認められる。

バッテンベルク家

サクスコブルクゴツキ家

ブルガリア王国(1908年 - 1946年)

1908年、オスマン帝国で起きた青年トルコ革命に乗じ、ブルガリア公フェルディナンドはブルガリア国王フェルディナンド1世として即位した。

サクスコブルクゴツキ家

1946年、シメオン2世が廃位され、共和制(ブルガリア人民共和国)となる。なお、シメオン2世はその後「シメオン・サクスコブルクゴツキ」(身分的には民間人政治家)として、2001年から4年間ブルガリア共和国首相を務めた。

参考文献

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