フリントロック式
フリントロック式 (Flintlock)、邦訳、燧発式(すいはつしき)とは、マスケット銃などの火器で使われた点火方式の1つ。フランス人のマーリン・レ・ブールジョワ(Marin le Bourgeoys)[1]によって1620年ごろに開発された[2]。1840年頃から、より信頼性の高いパーカッション・ロック式(雷管式)に置き換えられた。
目次
仕組み
大まかな仕掛けはマッチロック式(火縄銃)と変わりない。大きく違うのは次の3点である。
- 撃鉄(hammerまたはcock)の先端に火縄ではなくフリント(燧石)が取り付けられている
- 火蓋 (pan cover) と当たり金 (striking surface, striking steel) を兼ねたL字型のフリズン(frizzen)がある
- フリズンを閉じるバネがある
発砲までの操作・動きは以下のとおりである。
- 銃口から装薬と弾丸を詰める(火縄銃と同じ)
- 撃鉄を少し起こして、ハーフコック・ポジションにする。一種の安全装置でありハーフコック・ポジションでは引き金を引けない
- この状態でフリズンを開け、火皿(panまたはflash pan)に火薬を入れた後にフリズンを閉じる(火皿に火薬を入れるのは火縄銃と同じ)
- 撃鉄をさらに起こしてコック・ポジションにする。これで発砲準備は完了
- 引き金を引く
- フリントを取り付けた撃鉄が作動して、フリントがフリズンの当たり金とこすれ火花を発する
- 同時にその衝撃でフリズンが開くが、バネにより瞬時に閉じられ、火皿内に火花が閉じ込められる
- 火皿の火薬が点火され、さらに銃身に開けられた小さな穴(touch hole)を通って銃身内の装薬が点火する(火縄銃と同じ)
- 弾丸が発射される
参照動画: スロー撮影されたフリントロック式の点火
その利点
先行して登場していたホイールロック式は複雑で信頼性が低くあまり普及せず、それ以前のマッチロック式(火縄式)が主流のままであった。しかし、フリントロック式はホイールロック式の利点をそのまま持たせながら、火皿の中に火花を閉じ込めるという仕組みにより不発率を大きく低減させた。さらにマッチロック式に似た単純さにより安価で製造でき、射撃時火蓋を開ける必要も無いなど射撃間隔も縮めることが出来るため、各国は進んでこの技術を取り入れていった。また、マッチロック式の場合は密集すると、隣の射手の銃の火縄から引火する危険があったのに対し、フリントロック式は火種を使わないため射手がより密集する事が可能であるため、集団戦には効果的であり、より実戦的であった。また火種を使わず、さらに火蓋を閉じたまま射撃体勢にかかることが出来るため、天候の影響が小さいのも大きな長所である。
その欠点
マッチロック式に比べると、撃発時の衝撃で銃身がぶれ、また、引金を引いてから装薬に引火爆発するまでの時間差があるため命中精度に難がある。また、数発発砲すると、フリント(燧石)と当たり金の相性が変化し、不発を起こし易くなるため、撃鉄のねじツマミを緩めてフリントの当たり具合を調整し直す必要が生じてくることが欠点とされる。このためか、初期のフリントロック式マスケット銃はマッチロック式のそれに比べ口径が小さい傾向にあり、フランスでは1653年に歩兵用フリントロック式銃の廃止が決定されたこともある(もっとも現場ではまるで遵守されず、同世紀に撤回された)[3]。また、火種ではなく火花に頼っているため不発の可能性も残っており、さらに火蓋を当たり金と一体化させて無くしてしまったため暴発の問題も付きまとうなど、信頼性の面では劣った。そのため、マッチロック式が完全に駆逐されることは無いばかりか、一部地域では主流のままであり続けた。
日本におけるフリントロック式
日本では、江戸時代に、現物が輸入されたり書物から得た知識として「火打ちからくり」等の名で知られ、また、一部の鉄砲鍛冶による試作品も今に伝えられている。しかし日本産の燧石(火打石)は発火の火花が弱く銃向きでない事から採用されなかったと云われる。また既に平和な時代になっていた事から、集団戦向きであるという長所が理解されず、むしろ射撃術が個人技になっている状況から、マッチロック式(火縄式)の中でも特に命中精度が良い瞬発式火縄銃が引き続き使用され続けた。
なお、フリントロック式の技術そのものは当時の日本でも十分に導入可能なものであり、応用製品としてこの機構をそっくり借用したライターが平賀源内などによって、「刻みたばこ用点火器」の名で製造されている。
ガンロック
ガンロックは、フリントロックを利用した大砲の点火機構である。それらは海軍砲術の大幅な技術革新であり、1745年には最初にイギリス海軍で使用されていた。これは旧式の砲に後付けができなかったので、それらの使用は徐々に普及した。フランス側は一般的にトラファルガーの戦い (1805) の時までにそれらを採用していなかった。それまでは先端に火縄を取り付けた点火棒で火門に緩く詰めた導火薬に点火するやり方であり、点火には砲の反動を避けるため横から行わなければならず点火棒の操作と発射まで顕著な遅延があり、危険な上に揺れる船上での正確な射撃は不可能であった。
ガンロックは、拉縄を引くことで作動した。砲手は砲の後方で反動から安全な場所に位置し、船の横揺れによって砲弾が海面に落下したり敵船上を飛び越えること無く砲が敵船を捉えた時に発射することができた。砲弾は主装薬の袋に火門を通して貫通した、導火薬を充填した中空の軸によって点火され、従来の緩く詰めた導火薬を使用した時より安全かつ迅速に行うことができた。
ガンロックの導入後、点火棒は予備の発射手段としてのみ保持された。
様々な亜種
スナップハンスロック式
スナップハンスロック式 (Snaphance lock, Snaphaunce, Snaphaan) は1543年にスウェーデンで開発された[2]。フリントロック式との違いは当たり金と火蓋が独立している点である。さらに自動で火蓋を開く機構があるため比較的精緻で高価ではあるが、火皿をしっかりと閉じることが出来るため暴発の危険性が低く、イギリスやロシアなどで特に普及した。
ミュケレットロック式
ミュケレットロック式 (Miquelet lock, Miguelet, Miquelete) は1570年ごろスペインのマドリードで発明された。フリントロック式が撃鉄のバネ機構を銃内部に納めているのに対し、ミュケレット式は撃鉄のバネが剥き出しになっており、撃鉄と火皿の仕掛けが部品として一体化している[4]のが特徴である。発火機構を直接制御するバネが二つとも剥き出しなため暴発しやすくはあったが、安価でメンテナンスも容易なため、フリントロック式の普及後もスペインやオスマンなど地中海南部を中心として使われ続けた。
語源
スナップハンス(テンプレート:Lang-nl)/ミュケレット(テンプレート:Lang-es)は両方とも泥棒を意味する言葉であり、そしてこれら二つの機構は、「夜中に目立つ火縄が無く、かつホイールロック式より安価な銃を欲した泥棒がこの新機構を発明した」という、まるで同じ伝説を持っている[5]。
ドッグロック式
ドッグロック式 (Dog lock) とはフリントロック式の撃鉄根元に鉤状の安全装置をつけ、暴発の危険性を減らした機構である。イギリスや、その植民地のアメリカなどで使用された。