フェニックス・コヨーテズ
アリゾナ・コヨーテズ Arizona Coyotes アリゾナ州フェニックス</span> | |
---|---|
創設:1972年 | |
所属カンファレンス | |
所属ディビジョン | |
歴代チーム名 | |
| |
| |
本拠地 | |
収容人員: 19,000人 | |
チームカラー | |
| |
獲得タイトル(獲得年) | |
スタンレーカップ優勝 | なし |
アブコワールド | なし |
カンファレンス優勝 | なし |
ディビジョン優勝 (1回) | 2012 |
プレジデンツトロフィー | なし |
組織 | |
オーナー: アイス・アリゾナ・アクイジション | |
GM: ドン・マローニー | |
HC: デーブ・ティペット | |
主将: シェーン・ドアン |
アリゾナ・コヨーテズ(Arizona Coyotes)はアメリカ合衆国アリゾナ州フェニックスを本拠としているナショナルホッケーリーグ(NHL)所属のプロアイスホッケーチームである。
目次
歴史
このチームはWHA(ワールドホッケーアソシエーション)のウィニペグ・ジェッツとしてチーム発足し、1979年にNHLへ加盟した。その後、南部へ移転し、フェニックス・コヨーテズと改名した。
1972年に、WHAはマニトバ州ウィニペグにフランチャイズの設立権を与えた。当時NHLは、多くのホッケーフランチャイズを渇望する都市の要望に応えて、ジョージア州アトランタ、カリフォルニア州オークランド及びロサンゼルスなどを加え(カナダは1都市のみ)、16チームに拡大したばかりであった。他方、WHAは、オタワ、ケベックシティ、ウィニペグ、エドモントンやその後カルガリー、トロントの各都市にプロホッケーチームをもたらしたのである。
ジェッツは、「ザ・ゴールデン・ジェッツ」の通り名を持つボビー・ハル (Bobby Hull) の加入により最初の興隆期を迎え、WHAチャンピオンの証、アブコ・カップを3度獲得した。大抵のWHA有力チームは1979年までに解散の憂き目に会うが、ジェッツは強さを維持し続け、NHLへと吸収される。ただし、チームの得点源の6人のうち3人までを失い、NHL21チームのうちドラフト指名順位は18巡目と恵まれなかった。
NHL加入直後のジェッツは2シーズン連続で21チーム中最下位に終わる。特に1980-1981シーズンは80試合でわずか9勝しか挙げられなかった。1981年、ゼネラル・マネージャーのジョン・ファーガソンは大規模なチーム改造に着手、後に殿堂入りするデイル・ハワチャック(Dale Hawerchuk)を全体ドラフト1位で引き当てたほか、トレードでポール・マクレーンなどを獲得し戦力の入れ替えを行った。その結果、1981-1982シーズンにおいてハワチャックは103ポイントを挙げ新人王を獲得、最優秀ヘッドコーチとなったトム・ワットの好采配も手伝ってチームは10位にまで急浮上する。1984-1985シーズンはハワチャックとマクレーンが100ポイント以上を挙げ、ゴールキーパーのブライアン・ヘイワードの台頭もあり、リーグ4位にまで浮上した。
NHLがアメリカ合衆国へと膨張を続けるなか、チームを維持するための経費や選手の年俸が急増し、ジェッツは最有力選手の保有にも事欠くこととなる。チーム救済のため様々な手立てが考えられたのであるが、結局ウィニペグ市外からの資本に屈せざるをえないこととなった。1996年ウィニペグ・ジェッツはアリゾナへと転出し、ここにフェニックス・コヨーテズが誕生したのである。
ジェッツはボビー・ハルがつけた9番とトーマス・スティーンがつけた25番を永久欠番としている。両背番号は、フランチャイズのグランデールアリーナに掲げられている。もっとも、9番はボビーの息子ブレット・ハル(Brett Hull、2004年にチームに移籍)がチームに在籍する期間中に限って着用した。
2004年には、ウィニペグ在住の作家スティーブ・ランディン (Steve Lundin) は、その著作When She's Goneのなかで、ジェッツを失ったマニトバ州のホッケーファン達の精神的ダメージを描いている。
2005-2006シーズン、チームはチームのオーナーの1人でもあるウェイン・グレツキーをヘッドコーチとして招いた。 しかし、シーズンを通して苦戦し、チームはカンファレンス12位に終わり、プレーオフ進出を逃した。
さらに悪いことには、2006-2007シーズンはフェニックス移転以降最悪の成績(31勝46敗5延長負)に終わった。
しかし、2006-07シーズンの不振により全体3位の指名権を得たコヨーテズは、カイル・トゥリス(Kyle Turris)を指名する。トゥリスは2008年3月にNHLデビューを果たすことになる。
2007-2008年は、ドラフトで指名したピーター・ミューラー(Peter Mueller)やマーティン・ハンザル(Martin Hanzal)を中心としてチーム作りを行った。一方でカーティス・ジョセフ(Curtis Joseph)を不安だと見たチームは、アレックス・オールド(Alex Auld)やデービッド・アビッシャー(David Aebischer)を獲得。去年とは一味違った形で開幕を迎えた。
2014年1月29日、チームは2014-2015シーズンより名称をアリゾナ・コヨーテズ(Arizona Coyotes)に変更すると発表した[1]。
シーズン別成績
ウィニペグ・ジェッツ(WHA時代 1972年 - 1979年)
年 | GP | W | L | T | GF | GA | PTS | 最終順位 | プレイオフ |
1972-73 | 78 | 43 | 31 | 4 | 285 | 249 | 90 | ウェスト1位 | 決勝敗退 (ニューイングランド・ホエーラーズ) |
1973-74 | 78 | 34 | 39 | 5 | 264 | 296 | 73 | ウェスト4位 | 準々決勝敗退 (ヒューストン・エアロズ) |
1974-75 | 78 | 38 | 35 | 5 | 322 | 293 | 81 | カナディアン3位 | 不参加 |
1975-76 | 81 | 52 | 27 | 2 | 345 | 254 | 106 | カナディアン1位 | WHA優勝 |
1976-77 | 81 | 46 | 32 | 2 | 366 | 291 | 94 | ウェスト2位 | 決勝敗退 (ケベック・ノルディックス) |
1977-78 | 80 | 50 | 28 | 2 | 381 | 270 | 102 | 1位 | WHA優勝 |
1978-79 | 80 | 39 | 35 | 6 | 307 | 306 | 84 | 3位 | WHA優勝 |
ウィニペグ・ジェッツ (NHL時代 1979年 - 1996年)
年 | GP | W | L | T | GF | GA | PTS | 最終順位 | プレイオフ |
1979-80 | 80 | 20 | 49 | 11 | 214 | 314 | 51 | スマイス5位 | 不参加 |
1980-81 | 80 | 9 | 57 | 14 | 246 | 400 | 32 | スマイス5位 | 不参加 |
1981-82 | 80 | 33 | 33 | 14 | 319 | 332 | 80 | ノリス2位 | 地区準決勝敗退 (STL) |
1982-83 | 80 | 33 | 39 | 8 | 311 | 333 | 74 | スマイス4位 | 地区準決勝敗退 (EDM) |
1983-84 | 80 | 31 | 38 | 11 | 340 | 374 | 73 | スマイス4位 | 地区準決勝敗退 (EDM) |
1984-85 | 80 | 43 | 27 | 10 | 358 | 332 | 96 | スマイス2位 | 地区決勝敗退 (EDM) |
1985-86 | 80 | 26 | 47 | 7 | 295 | 372 | 59 | スマイス3位 | 地区準決勝敗退 (CGY) |
1986-87 | 80 | 40 | 32 | 8 | 279 | 271 | 88 | スマイス3位 | 地区決勝敗退 (EDM) |
1987-88 | 80 | 33 | 36 | 11 | 292 | 310 | 77 | スマイス3位 | 地区準決勝敗退 (EDM) |
1988-89 | 80 | 26 | 42 | 12 | 300 | 355 | 64 | スマイス5位 | 不参加 |
1989-90 | 80 | 37 | 32 | 11 | 298 | 290 | 85 | スマイス3位 | 地区準決勝敗退 (EDM) |
1990-91 | 80 | 26 | 43 | 11 | 260 | 288 | 63 | スマイス5位 | 不参加 |
1991-92 | 80 | 33 | 32 | 15 | 251 | 244 | 81 | スマイス4位 | 地区準決勝敗退 (VAN) |
1992-93 | 84 | 40 | 37 | 7 | 322 | 320 | 87 | スマイス4位 | 地区準決勝敗退 (VAN) |
1993-94 | 84 | 24 | 51 | 9 | 245 | 344 | 57 | 中部6位 | 不参加 |
1994-95 | 48 | 16 | 25 | 7 | 157 | 177 | 39 | 中部6位 | 不参加 |
1995-96 | 82 | 36 | 40 | 6 | 275 | 291 | 78 | 中部5位 | カンファランス準決勝敗退 (DET) |
フェニックス・コヨーデズ ( 1996年 - )
年 | GP | W | L | T | OL | GF | GA | PTS | 最終順位 | プレイオフ |
1996-97 | 82 | 38 | 37 | 7 | - | 240 | 243 | 83 | 中部3位 | カンファランス準決勝敗退 (ANA) |
1997-98 | 82 | 35 | 35 | 12 | - | 224 | 227 | 82 | 太平洋4位 | カンファランス準決勝敗退 (DET) |
1998-99 | 82 | 39 | 31 | 12 | - | 205 | 197 | 90 | 太平洋2位 | カンファランス準々決勝敗退 (STL) |
1999-00 | 82 | 39 | 31 | 8 | 4 | 232 | 228 | 90 | 太平洋3位 | カンファランス準々決勝敗退 (COL) |
2000-01 | 82 | 35 | 27 | 17 | 3 | 214 | 212 | 90 | 太平洋4位 | 不参加 |
2001-02 | 82 | 40 | 27 | 9 | 6 | 228 | 210 | 95 | 太平洋2位 | カンファランス準々決勝敗退 (SJ) |
2002-03 | 82 | 31 | 35 | 11 | 5 | 204 | 230 | 78 | 太平洋4位 | 不参加 |
2003-04 | 82 | 22 | 36 | 18 | 6 | 188 | 245 | 68 | 太平洋5位 | 不参加 |
2005-06 | 82 | 38 | 39 | - | 5 | 246 | 271 | 81 | 太平洋5位 | 不参加 |
2006-07 | 82 | 31 | 46 | - | 5 | 216 | 284 | 67 | 太平洋5位 | 不参加 |
2007-08 | 82 | 38 | 37 | - | 7 | 214 | 231 | 83 | 太平洋4位 | 不参加 |
2008-09 | 82 | 36 | 39 | - | 7 | 208 | 252 | 79 | 太平洋4位 | 不参加 |
2009-10 | 82 | 50 | 25 | - | 7 | 225 | 202 | 107 | 太平洋2位 | カンファランス準々決勝敗退(DET) |
脚注
外部リンク
テンプレート:Navbox with columns- ↑ Coyotes Announce Team Name Will Change to Arizona Coyotes Beginning in 2014-15 PhoenixCoyotes.com