フィールーズ・シャー・トゥグルク
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フィールーズ・シャー・トゥグルク(1308年 あるいは1309年(諸説あり)- 1388年)は、トゥグルク朝の第3代スルタン(在位:1351年 - 1388年)。第2代スルタン・ムハンマド・ビン・トゥグルクの従兄弟。
生涯
1351年にムハンマド・ビン・トゥグルクが死亡したのち、従兄弟であった彼が即位する。
即位後は先代のムハンマドの遠征でかかった多大な軍費による出費から財政が悪化して王朝衰退を招いたため、その再建に取りかかった。
フィールーズは内政を重視し、行政改革に重点を置いた。まず、貴族による反乱を押さえるため、官職や領地、特権の世襲化を容認した。さらに失業者に対しては職業補導を行ない、結婚資金制度を作った。また、多くの新しい都市や灌漑施設を建造し、罪人に対しても残酷な処罰を廃止したりもした。
宗教政策においては、ヒンドゥー教徒に一定の理解を示したが、ヒンドゥー教徒にイスラーム教徒に改宗するように進めている。
しかしフィールーズは対外遠征をたびたび行なって失敗し、失地回復を図ることはできずに終わった。
1388年、80歳で死去し、跡を曾孫のギヤースッディーン・トゥグルク2世が継いだ。
参考文献
- 辛島昇 『新版 世界各国史7 南アジア史』 山川出版社、2004年
- フランシス・ロビンソン著、小名康之監修・月森左知訳 『ムガル皇帝歴代誌』 創元社、2009年
関連項目
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