ピストイア
テンプレート:コムーネ ピストイア(テンプレート:Lang-itテンプレート:IPA audio link)は、イタリア共和国トスカーナ州北部にある都市で、その周辺地域を含む人口約9万人の基礎自治体(コムーネ)。ピストイア県の県都である。
フィレンツェの北西約33kmに位置し、その大都市圏テンプレート:Enlinkに含まれる。
目次
地理
位置・広がり
ピストイアの市街はピストイア県の東部に位置し、州都フィレンツェの北西約33km、ピサの北東約47km、ボローニャの南南西約71kmにある。
コムーネ(自治体)としてのピストイアの面積は 236.77 km2 に及び、ピストイア県の北東部に広がっている。コムーネの面積は県のおよそ1/4を占めている。中心市街はコムーネの南部に位置し、北はエミリア=ロマーニャ州と接する。
隣接コムーネ
隣接するコムーネは以下の通り。BOはボローニャ県(エミリア=ロマーニャ州)、POはプラート県所属。
- リッツァーノ・イン・ベルヴェデーレ (BO) - 北
- ポッレッタ・テルメ (BO) - 北
- グラナリオーネ (BO) - 北
- サンブーカ・ピストイエーゼ - 北東
- カンタガッロ (PO) - 北東
- モンターレ - 東
- アリアーナ - 東
- クアッラータ - 南東
- セッラヴァッレ・ピストイエーゼ - 南西
- マルリアーナ - 西
- ピテーリオ - 北西
- サン・マルチェッロ・ピストイエーゼ - 北西
地勢
フィレンツェ平野の北西部に位置する。アルノ川の支流であるオンブローネ・ピストイエーゼ川テンプレート:Enlinkが市域を流れる。
歴史
古代
ピストイアの地は、ガリア人やリグリア人、エトルリア人の居住地であった。紀元前6世紀、カッシア街道沿いのこの都市は、ローマの植民都市となった。ラテン語では Pistorium や Pistoriae などとも綴られる。
紀元前62年、共和政ローマの転覆を図ったルキウス・セルギウス・カティリナとその同調者は、この都市の近くで処刑された。
中世
5世紀以降、ピストイアは司教座都市となった。ランゴバルド王国の統治の下、この都市は王の都市としていくつかの特権を獲得した。1177年、ピストイアは自由都市(コムーネ)であることを宣言し、重要な政治の中心地となった。以後、市壁や公共建築物・宗教建築物の建設などが行われている。
教皇派(ゲルフ)と皇帝派(ギベリン)の争いの中で、ピストイアはギベリンにつき、ゲルフのフィレンツェに敗れた。しかし、党派抗争はゲルフ内部の黒派と白派に受け継がれた。14世紀の半ば、ルッカの傭兵隊長 Castruccio Castracani によって占領された短い時期を除き、ピストイアはフィレンツェによって統治をされた。1530年、都市は正式にフィレンツェ共和国に併合された。なお、フィレンツェ共和国は1532年に、メディチ家が名実ともに君主として支配するフィレンツェ公国となり、1569年にはトスカーナ大公国となった。
フィレンツェの政治家・作家であるダンテは『神曲』地獄篇(1304年から1308年頃)の中で、登場人物ヴァンニ・フッチテンプレート:Enlinkの故郷を自由都市ピストイアに設定した。盗賊のヴァンニは神を呪った罪により、ヘビによって責めさいなまれている。
16世紀、この都市では短銃の生産が盛んとなったが、一説によればピストイアは「ピストル」の名の由来となったという[1] 。1540年ころにこの町に住む銃工カッミーロ・ヴィッテーリ(Camillo Vitelli)が短銃を発明し、それがピストルの語源になった、という説がある。
近世
1787年、ジャンセニスムによる教会改革を掲げた著名な教会会議がピストイアで開かれているテンプレート:Enlink。
行政
行政区画
ピストイアには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。
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社会
経済・産業
ピストイアは、周辺に広がる広大な庭園で知られる。付近のペーシャと同様、ピストイアは、花市場でも知られている。
人口
人口推移
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姉妹都市
- テンプレート:Flagicon 白川町(日本・岐阜県)[2][3]
- 1994年10月30日 姉妹都市提携
- テンプレート:Flagicon オネシュティ(ルーマニア)
- テンプレート:Flagicon クルシェヴァツ(セルビア)
- テンプレート:Flagicon ポー(フランス) - 1975年より
- テンプレート:Flagicon ツィッタウ(ドイツ)
- テンプレート:Flagicon パレルモ(イタリア)
人物
著名な出身者
- クレメンス9世 - 17世紀のローマ教皇