ハード島とマクドナルド諸島

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ハード島とマクドナルド諸島 (Heard Island and McDonald Islands 略称:HIMI) はインド洋に浮かぶ無人島である。1947年以降、オーストラリア領。1997年からはユネスコ世界遺産(自然遺産)に登録された。

概要

ハード島は荒涼として、起伏が多いのが特徴で、ビッグベン・マッシフにある2745メートルのモーソン・ピークなどに代表される。マクドナルド諸島は比較的小さく、岩で出来ているのが特徴である。それらすべての面積は412km²である。港はない。

諸島全体はオーストラリアの領土で、オーストラリア環境と遺産省(Australian Department of the Environment and Heritage)のオーストラリア南極局(Australian Antarctic Division)が管理している。島は環境保護のために保護され、研修者のみに公開されている厳正保護地域である。

島には経済活動が皆無であるのに国コード(ISO 3166-1 HM / HMD)が与えられ、インターネットのトップレベルドメイン.hm というものが与えられている。

歴史

テンプレート:出典の明記 ハード島とマクドナルド諸島は、1833年11月27日にアザラシ猟で航行していた、イギリス人のキャプテン・ピーター・ケンプが海域で島を見つけたのが始めとも言われる[1]。これが正しければ、これが最初の人間によるこの島の認識である。ピーターはケルゲレン諸島から南極への航海中、方位磁石でこの諸島を確認、その後島に降り立ったと言われている。しかし、現在では1830年代初頭のこの海域での諸島の発見は、疑わしいと考えられている[2]

後にはオリエンタル号のキャプテン・ジョン・ハードが1853年11月25日、島を確認した[2]。彼は1ヶ月後にこの島の発見を発表し、キャプテン・ジョン・ハードの発見した島はハード島と呼ばれるようになった。一方1854年1月4日にはサマラン号のキャプテン・ウイリアム・マクドナルドもこの海域で別の諸島を発見[2]、これも彼の名前にちなみマクドナルド諸島と呼ばれた。

しかし、ハードもマクドナルドもこの諸島に降り立つことはなかった。初めてこの島に降り立ったのは1855年2月、コリンシアン号のキャプテン・エラスムス・ダーウィン・ロジャーズである[1]。その後、アザラシの脂(油)を取るために、アメリカ人がここへ住み着くようになったが、1880年までには、アザラシの脂を取ることはなくなった[3]。この間100,000バレルものアザラシの脂が生産された。

登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。テンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/core

参考文献

  1. 1.0 1.1 A Description of theHeard Island and McDonald Islands Marine Reserve,Heard Island and McDonald Islands Marine Reserve Management Plan, Australian Antarctic Division, p.4
  2. 2.0 2.1 2.2 History - Discovery,Heard Island and McDonald Islands, Department of the Environment, Water, Heritage and the Arts,Australian Antarctic Division
  3. History - 19th Century Sealing,Heard Island and McDonald Islands, Department of the Environment, Water, Heritage and the Arts,Australian Antarctic Division

関連項目

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