ドレスデン (軽巡洋艦・初代)
ドレスデン | |
艦歴 | |
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発注: | |
起工: | |
進水: | |
就役: | 1908年11月14日 |
退役: | |
その後: | 1915年3月14日に自沈 |
除籍: | |
性能諸元 | |
排水量: | 基準:3,664トン 満載:4,268トン |
全長: | 118m |
全幅: | 13.5m |
吃水: | 5.54m |
機関: | パーソンズ式直結タービン |
最大速: | 25.2ノット |
兵員: | 361名 |
兵装: | 40口径10.5cm単装砲10基 55口径5.2cm単装砲8基 45cm水中魚雷発射管2門 |
ドレスデン (SMS Dresden) は、ドイツ海軍のドレスデン級小型巡洋艦。
艦歴
ドレスデンはブローム・ウント・フォス造船所で建造され、1906年起工。1907年10月5日に進水し、1908年11月14日就役。カリブ海に配備された。
第一次世界大戦
1914年6月25日にポルトープランスで新たに派遣されてきた巡洋艦カールスルーエと艦長を交換し、6月28日にセント・トーマス島に向け出港[1]。7月31日にセント・トーマス島を離れてドイツ本国へ向かったが、ヨーロッパでの情勢悪化により本国帰還は中止された[1]。ドイツの戦争参戦後は大西洋で通商破壊戦を実施。最初の3隻、Drumcliffe(4072トン)、Lynton Grange(4252トン)、Hostilius(3325トン)は解放したが、支援船がそろった後はHyades(3352トン)とHolmwood(4223トン)を沈めた[2]。他にSiamese Prince(4847トン)とKatharine Park(4854トン)も発見しており、前者は理由は不明であるが見逃され、アメリカの積荷を積んでいた後者は沈められた船の乗員とともに解放された[3]。
9月、ドレスデンは喜望峰を回ってアメリカ西岸へ向かうよう指示を受けた[4]。その途中で郵便船Ortega(8075トン)を発見するも逃走された[5]。1914年10月12日シュペー海軍中将率いるドイツ東洋艦隊(東アジア巡洋艦戦隊)(「シャルンホルスト」など)とイースター島で合流。1914年11月1日、コロネル沖海戦でイギリス巡洋艦グラスゴーと交戦。1914年12月8日、フォークランド沖海戦に参加。他の艦は撃沈されるも「ドレスデン」は逃走に成功。1915年3月14日、チリ領、ファン・フェルナンデス諸島のマス島カンバーランド湾でイギリス巡洋艦と交戦後自沈。
- SMS Dresden before scuttling.jpg
撃沈される前のドレスデン
脚注
参考文献
- John Walter, The Kaiser's Pirates: German Surface Raiders in World War One, Arms and Armour Press, 1994, ISBN 1-85409-136-0