チャオプラヤー・コーサーレック(Chaophraya Kosalek、เจ้าพระยาโกษาเหล็ก)はタイのアユタヤー王朝・ナーラーイ王時代の軍人。正式名称をチャオプラヤー・コーサーティボーディーというが、死後、弟が同じ名称を下賜されたので、区別のためこの名前が一般的に使われる。俗称はレック(เหล็ก)ペートラーチャー王の息子。
ナーラーイ王時代に軍の総司令官として活躍した。チェンマイ征伐では大勝を得、1664年(タイ仏暦2207年)にはビルマ軍を討伐した。翌年ビルマ国内まで攻め入ったが、兵糧が尽き退却した。
1683年(タイ仏暦2226年)死亡。コーサーレックの死亡によりギリシャ人官吏のフォールコンが埋め合わせに昇進した。