ソ連最後のレシプロ戦闘機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

ソ連最後のレシプロ戦闘機とはソ連において開発・製造されたレシプロエンジンを搭載した戦闘機の内、最後期に開発された一群のもののことを指す。

概要

ソ連最後のレシプロ戦闘機としては、Yak-1/7/9シリーズの集大成といえるYak-9PLa-7の発展型であるLa-9、及びその長距離護衛戦闘機型のLa-11が挙げられる。また、「シュトゥルモヴィーク」と呼ばれるIl-10も、戦闘機並みの空中戦能力を持った機体であった。

いずれの機体も第二次世界大戦中に開発が始められ、1945年初頭から戦後にかけて完成、生産された。しかしながら、ジェット機の台頭により1940年代末までにはソ連空軍の第一線部隊から押し出され、実戦においても朝鮮戦争における活動以外は、目立った働きを見せることなく歴史の表舞台から去った。いずれの機体もレシプロ戦闘機としては完成の域に達していたといえるが、全金属製の機体が製作されるようになったのはソ連ではようやくこの時期であった。大戦中のYak-9やLa-7はドイツアメリカ合衆国等の戦闘機と比べ引けを取らない性能を持っていたが、それらのいずれも木材や布を用いた混合構造の機体であり、資源的問題があったとはいえ、そうした前時代的要素が世界水準にあった速度・武装・防御力等の先進的要素と同居していたことは興味深い。ソ連では、第二次世界大戦後半よりアメリカ合衆国からの鉄鋼支援を受けてそれまで木製部分が多かった軍用機の金属化を進めてきたが、終戦に伴い国内の産業も復興してきたことから1940年代後半には全金属製の航空機を大量に供給することが可能となっていた。特に重工業の中心であったウクライナは大きな戦災を受けたが、政府による強制的な指導もあり、その復興は早かったといえる。政府は、アメリカなどに遅れをとらぬよう、国内重工業の復興を最優先事項のひとつとしていた。戦後になって数多く現れてきたソ連製全金属製戦闘機は、その成果のひとつといえる。

テンプレート:Mil-aviation-stub