スシロ・バンバン・ユドヨノ

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スシロ・バンバン・ユドヨノ
Susilo Bambang Yudhoyono
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任期 2004年10月20日
副大統領 モハマッド・ユスフ・カラ
ブディオノ

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出生 テンプレート:生年月日と年齢
インドネシア東ジャワ州Pacitan
政党 民主党

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スシロ・バンバン・ユドヨノSusilo Bambang Yudhoyono1949年9月9日 - )は、インドネシア政治家、軍人(退役陸軍大将)である。2004年10月20日から大統領。頭文字を取り、SBYとして知られる。

経歴

1949年、東ジャワパチタン生まれ。1973年、陸軍士官学校を首席で卒業。米国滞在中にウェブスター大学に学び、経営学修士号(MBA)を取得。

陸軍では、戦略予備軍の旅団長、地方軍管区司令官、国軍司令官副官などを歴任。1995年-1996年には国連軍ボスニア・ヘルツェゴビナ停戦監視団で主席軍事オブザーバーも務めた。スハルト退陣時には社会政治参謀長。かねてより「陸軍きっての秀才」との誉れ高く、その将来を嘱望されてきた。

ハビビ政権では、ウィラント国防相のブレーンとして、国防とともに政治にも深く関与するという国軍の伝統的な「二重機能」を廃止する理論づくりを主導した。

その後退役し、1999年ワヒド政権で初入閣(鉱業エネルギー相)。その後も同政権で政治・治安担当調整相に就任してテロ対策を指揮し、メガワティ政権でも継続して同調整相となった。

2004年3月にメガワティと対立して辞任。同年、インドネシア史上初の大統領直接選挙でメガワティを破り当選。インドネシアの第6代大統領に就任。テロ対策や汚職撲滅などに力を注いだ。また、スマトラ島アチェ独立運動を終結させた。

2009年7月の大統領選でメガワティらを破って再選を果たし、任期を2014年まで伸ばした。

2013年3月の民主党臨時党大会において民主党党首に就任[1]

称号

脚注

  1. これ以前はユドヨノは民主党最高諮問会議議長として党の最高権力を保持していたが、相次ぐ民主党不祥事によりアナスの党首続投が不可能な情勢となったため2013年3月31日の臨時党大会において党首に就任し自ら党運営を行うこととなった。じゃかるた新聞(2013年4月1日(月))第1面。

関連文献

  • 白石隆「国軍 - その世代交代と変貌 -」、安中章夫・三平則夫編『現代インドネシアの政治と経済 - スハルト政権の30年 -』、アジア経済研究所、1995年
  • 白石隆『崩壊 インドネシアはどこへ行く』、NTT出版、1999年
  • Honna, Jun, Military Politics and Democratization in Indonesia, Routledge, 2005
  • じゃかるた新聞(2013年4月1日(月))「ユドヨノ氏が新党首 内部対立の民主党 無投票の全会一致で」『じゃかるた新聞』第1面 ジャカルタ

関連項目

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