クリスティアン・シンディング

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テンプレート:Infobox Musician テンプレート:Portal クラシック音楽 クリスティアン・アウグスト・シンディングChristian August Sinding, 1856年1月11日 - 1941年12月3日)は、コングスベルグに生まれオスロに没したノルウェー作曲家グリーグ以降で最も重要なノルウェー・ロマン派の作曲家[1]といわれる。

人物

最初はヴァイオリニストを志し、オスロでテンプレート:仮リンクにヴァイオリンを、テンプレート:仮リンクに音楽理論を学んだ。1874年からライプツィヒ音楽院でヘンリ・シュラディークにヴァイオリンを、カール・ライネッケザロモン・ヤーダスゾーンに音楽理論と作曲を学び、やがて作曲に才能があることがわかり作曲家に転向した[2]。初期の試みはあまりうまくいかなかったが(彼はのちにいくつもの初期の作品を破棄している)、1885年に初演されたピアノ五重奏曲ホ短調 op.5を皮切りに、変奏曲 op.2(1886年初演)やピアノ協奏曲変ニ長調 op.6(1889年初演)、交響曲第1番ニ短調 op.21(1890年初演)が国際的な好評を得たことにより、ノルウェーの音楽界における地位を確立した[2]

シンディングは40年近くもの長い間ドイツに住み、ドイツの音楽界と密接な繋がりがあったが、ノルウェー政府により1880年から定期的な奨励金を、1910年からは年金を支給されていた[2]。1921年には数か月間ニューヨーク州ロチェスターイーストマン音楽学校の作曲の客員教授となった[3]。1924年には彼の栄誉を称えてノルウェー政府からテンプレート:仮リンクの邸宅であった「テンプレート:仮リンク」が住居として提供された[2]

作品

ドイツ・ロマン派、特にリストワーグナーシュトラウスの影響が色濃い[1][2]。作品の中で特に有名なのはピアノ曲『春のささやき』である[4]。彼が生涯ドイツ・ロマン派の語法を固守したことや、死の直前にナチスのプロパガンダに利用されたことが原因となり[5]、『春のささやき』以外の作品はレパートリーから消えてしまっていたが、テンプレート:仮リンクに伴い、他の作品が演奏されることも次第に増えてきている[4]

以下、括弧内は作曲年を表す。

交響曲

  • 交響曲第1番 ニ短調 op.21(1880-1890年[1]、1892年改稿[2]
  • 交響曲第2番 ニ長調 op.83(1903-1904年[1]
  • 交響曲第3番 ヘ長調 op.121 (1920年[1])
  • 交響曲第4番 『冬と春』 op.129(1921-1936年[1]

協奏曲

  • ピアノ協奏曲ニ長調 op.6 (1889年[1])
  • ヴァイオリン協奏曲第1番イ長調 op.45 (1898年[1])
  • 伝説 op.46 (1900年[1])
  • ヴァイオリン協奏曲第2番ニ長調 op.60 (1901年[1])
  • ロマンス ニ長調 op.100 (1910年[1])
  • ヴァイオリン協奏曲第3番イ短調 op.119 (1917年[1])

室内楽曲

  • ピアノ五重奏曲ホ短調 op.5 (1882-1884年[1])
  • 組曲イ短調 op.10『古い様式で』 (1889年[1])
  • ピアノ三重奏曲第1番ニ長調 op.23 (1893年[1])
  • ピアノ三重奏曲第2番イ短調 op.64a (1902年[1])
  • ピアノ三重奏曲第3番ハ長調 op.87 (1908年[1])

ピアノ曲

合唱曲

  • 波の歌 (Wogensang) 女声三部合唱、ピアノ伴奏、ノルウェー語またはドイツ語

歌劇

  • 聖なる山 op.111 (1912年[1])

参考文献

  • Per Vollestad. (2005) Christian Sinding. Oslo: Solum Forlag.

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 1.18 テンプレート:Cite web
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 Nils Grinde. (1991) A History of Norwegian Music. Lincoln, NE: University of Nebraska Press, pp.252-257.
  3. Grinde (1991)とVollestad (2005)による。Michelsenには1920-21年と記載されているが、おそらく1921-22年の誤記である。Vollestad(その中の“Professor Sinding”と題された節 (pp.181-184) にシンディングのアメリカ行きに関して詳細な記述がある)によると、シンディングがイーストマンの招請を承諾したのが1921年5月、アメリカに向けて発ったのが同年9月であり、1922年6月に帰国した。
  4. 4.0 4.1 John H. Yoell. (1974) The Nordic Sound: Explorations into the Music of Denmark, Norway, Sweden. Boston, MA: Crescendo Publishing, pp.206-208.
  5. Per Vollestad. (2005) Christian Sinding. Oslo: Solum Forlag, pp.211-241. 英語では、次の解説ページに簡単な記述がある:テンプレート:Cite web

外部リンク

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