カーウィラ
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テンプレート:Thaiking カーウィラ公はタイ王国のチエンマイ県にあったチエンマイ王朝(復興ラーンナー王朝)の王である。
伝記
ランパーンの国主、チャーイケーオの長男でとして生まれる。1774年、後にチエンマイ王となるチャーバーンの軍勢に加わり、タークシン王の軍勢に加勢し、ランパーンを死守したことにより、タークシン王朝下でもランパーン県の知事を命ぜられた。
1782年まで絶えずラムパーンをタイ勢力の基地としてビルマと多くの戦を交えた。その後タークシン王がラーマ1世に処刑されると、カーウィラは、プラヤー・ワチラプラーカーンの官位・欽錫名を与えられ、チエンマイの王に任命された。
このとき未だチエンマイは、未だビルマ軍の占領下にあったので、奪回すべく兵を募った後出兵し、1796年チエンマイを取り返し、チエンマイを再建した。その後、1802年カーウィラの称号を得た。王になってからは、チエンマイ市内の占領下で廃れた寺院の修復を行ったりした。
子孫
カーウィラには5人の子息が居た。
- ラーチャブットノーイスリヤカート王子(チエンマイのラーチャブット)・・・ケーオナワラット少々の妻、チャーマリーの父。ボーウォーラデート親王の妻であるティッパワン王女とシームワン王女の曾祖父。
- カーウィローロットスリヤウォン王子・・・ラーマ5世の妃、ダーラーラッサミーの祖父。ウィモンナークピーシー親王の曾祖父。
- ナーンマハーウォン王子・・・ラーマ5世の妃、ティッパカセーンの曾祖父。サンカウィサイノーラボーディー(親王ディロックノッパラット親王)の曾祖父。
- カムサイ王女
- ナーンチャイセーナー王女
参考文献
- Ongsakul, Sarassawadee, History of Lan Na, trans. Chitraporn Tanratanakul, Chian Mai: Silkworm Books, Thai text 2001, English text 2005, ISBN 9749575849
- The Chiang Mai Chronicle 2nd Edition, trans. David K. Wyatt and Aroonrut Wchienkeeo, Chinag Mai: Silkworm Books, 1998, ISBN 9747100622
関連項目
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