カンチェンジュンガ
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テンプレート:Infobox 山 カンチェンジュンガ(Kangchenjunga )は、ネパール東部のen:Taplejung Districtとインドのシッキム州との国境にあるシッキム・ヒマラヤの中心をなす山群の主峰。標高8,586mはエベレスト、K2に次いで世界第3位。
概要
カンチェンジュンガとはチベット語で「偉大な雪の5つの宝庫」の意味。主峰の他に西峰=ヤルン・カン(8,505m)、中央峰(8,478m)、南峰=カンチェンジュンガII(8,476m)、カンバチェン(7,903m)が並ぶ。衛星峰に囲まれていて、最高点を中心に半径20Kmの円を描くとその中に7000m以上の高峰10座、8000m級のカンチェンジュンガ主峰と第II峰の2座が入り、壮大さは比類がない。さらにこの山がダージリンの丘陵上から手に取るような近さで眺められることも、この山を古くから人に親しませる理由となった。
登頂歴
- 1899年 - ダグラス・フレッシュフィールド(Douglas Freshfield )隊が探検した。
- 1905年 - アレイスター・クロウリー隊による最初の登頂の試み。当時ヒマラヤ高峰の気象や登山適期はよくわかっておらず、夏のモンスーン季に入山したことが仇となり多量の降雪に阻まれ6200mの到達にとどまった。隊員のアレクシス・パッヘ中尉が雪崩により死亡し、5990m付近に埋葬された。
- 1929年 - ドイツのパウル・バウアー隊が7,400mまで到達。
- 1955年5月25日(初登頂) - イギリスのチャールズ・エヴァンス(Charles Evans )隊のジョージ・バンド、ジョー・ブラウン。
- 1973年5月14日 - 京都大学学士山岳会の上田豊、松田隆雄が西峰(ヤルン・カン)に初登頂。8000m付近でビバークを余儀なくされ、松田隊員が行方不明に。
- 1978年 - ポーランド隊が南峰(カンチェンジュンガII)に登頂成功。
- 1979年5月16日(無酸素初登頂) - ダグ・スコット、ピーター・ボードマン、ジョー・タスカー。
- 1980年 - 山学同志会の川村晴一、鈴木昇己ら6人が無酸素登頂。
- 1981年 - 日本ヒマラヤ協会隊の山田昇ら4人が主峰・西峰を縦走。
- 1983年 - ピエール・ベジャン(Pierre Béghin )が初の単独無酸素登頂。
- 1984年
- 1986年1月11日 - ポーランド隊が初の冬季登頂。
- 1989年 - アナトリ・ブクレーエフ(Anatoli Boukreev )が4つのピーク縦走に成功。
- 1992年 - カルロス・カルソリオが単独無酸素登頂。
- 1998年5月15日 - 日本山岳会青年部登山隊の2人が登頂後、死亡する事故が発生[2]。
- 2006年5月14日 - 竹内洋岳が南面クラシックルートで無酸素登頂。
脚注
関連項目
外部リンク
- ヤルンカン(一般社団法人 京都大学学士山岳会)
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