カレイジャス (空母)

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艦歴
発注 1915年3月14日
起工 1915年3月28日
進水 1916年2月5日
就役 1916年11月4日
退役
除籍
その後 1939年9月17日に戦没
性能諸元
排水量 基準:22,350 トン
満載:26,518 トン
全長 786.5 ft (240.0 m)
全幅 81 ft (27.6 m)
吃水 25.8 ft (8.1 m)
機関 ヤーロー式重油専焼水管缶18基
パーソンズ式ギヤード・タービン4基
4軸推進、90,000hp
最大速 30.8 ノット (57 km/h)(公試時)
29.5 ノット (通常時)
航続距離 16ノットで5,860
乗員 (軽巡洋艦時)
829名
(航空母艦時)
766名 + 航空要員450名の合計1,216名
兵装 (竣工時)
38.1 cm(15インチ)連装砲 2基
101.6 mm(4インチ)3連装砲 6基
3ポンド(76.2 mm)単装砲 2基
53.3センチ(21インチ)3連装魚雷発射管 4基
53.3センチ(21インチ)水中魚雷発射管 2門
(航空母艦時)
40口径12cm単装高角砲 16基
2ポンド8連装装ポムポム砲 3基
搭載機 42~48機
ファイル:HMS Courageous WWI.jpg
1916年、「大型軽巡洋艦」として完成した当時のカレイジャス
ファイル:HMS Courageous sinking.jpg
沈みつつあるカレイジャス

カレイジャス (HMS Courageous, 50) はイギリス海軍の艦船。「バルト海上陸作戦」のための「大型軽巡洋艦」として建造され、後に航空母艦へ改造された。同型艦にはグローリアスがある。

概要

カレイジャスは当初は38cm連装砲塔2基を備えた「大型軽巡洋艦」としてアームストロング社で建造された。これはフィッシャー提督の提唱、推進した「バルト海上陸侵攻作戦」支援のための特殊艦艇として、上陸部隊を援護するための強力な砲撃力と、一挙に海峡部を突破するための高速力を求めたもので、実質的には外洋航行能力のある「モニター艦」であった。

設計

テンプレート:Main

搭載機変遷
1939年 9月 計24機 811Sqn(ソードフィッシュ×12)+822Sqn(ソードフィッシュ×12)

艦歴

結局「バルト海上陸作戦」は実行されなかったため、カレイジャスは第一次世界大戦では高速機雷敷設艦として使用された。1917年11月17日第2次ヘルゴラント・バイト海戦に参加。1924年から1928年にかけて航空母艦へ改造された。

第二次世界大戦

第2次世界大戦開始時カレイジャスは本国艦隊に所属しており、ソードフィッシュを装備する第811飛行隊と第822飛行隊を搭載していた[1]。戦争初期、艦隊型航空母艦を中心としたハンターキラーグループがUボートの捜索および撃沈のために編成された。1939年9月17日、カレイジャスはアイルランド沖で対潜哨戒任務に就いていた。護衛の駆逐艦4隻のうち2隻は、攻撃を受けていた商船の救援に派遣されていた。その頃、カレイジャスはドイツ潜水艦U-29に2時間以上追尾されていた。カレイジャスが搭載機を発進させるため向きを変えた結果、U-29の艦首の前を横切ることになり、U-29は3本の魚雷を発射した。カレイジャスの左舷に魚雷が2本命中し、全電力を喪失。20分で転覆沈没し艦長を含め乗員518名が死亡した[2]。生存者はオランダの客船Veendamnとイギリスの貨物船Collingworthによって救助された。護衛の駆逐艦2隻が4時間に渡ってU-29への反撃を行ったが、U-29は逃げ切った[3]

9月14日に空母アーク・ロイヤルがU-39に攻撃され(この攻撃は命中しなかった)、その3日後にはカレイジャスが撃沈されたため、イギリス海軍は艦隊型航空母艦の対潜哨戒任務への投入をやめた。カレイジャスは第二次世界大戦中最初に失われたイギリス軍艦である。

脚注

  1. Brown, p. 12
  2. Burt 1993, pp. 286–88
  3. Blair, pp. 90–91

参考文献

関連項目

外部リンク

テンプレート:グローリアス級航空母艦

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