エラズマス・ダーウィン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エラズマス・ダーウィン(Erasmus Darwin, 1731年12月12日 – 1802年4月18日)は、イングランドの医師・詩人・自然哲学者。ロバート・ダーウィンの父でチャールズ・ダーウィンの祖父。
略歴
ノッテンガム付近のエルストン・ホール生まれ。ケンブリッジ大学とエディンバラ大学で学び、内科医の資格を取得した。一般にチャールズ・ダーウィンが「進化」論を唱えたとされているが、実際には祖父であるエラズマスが「進化(evolution)」という概念を生物学に持ち込んでいる。ルナ協会の中心人物でもあった。
チャールズ自身は「ゆるやかな変化」などを用いた表現が多く、「進化(evolution)」という言葉自体を大きく嫌っていたらしい。 有名な『種の起源』においても、その第5版にまで「進化」という単語は存在しない。チャールズが祖父を大きく嫌っていたため、と見る向きもあるが、エラズマスの論が実施や実験、経験を軽んじているがため、とチャールズ自身は著している。
ただ、チャールズが当初系統発生にエラズマスの提唱したevolutionの語を当てなかったことに関して、当時のevolutionという語の示す概念は元来個体発生、特に前成説的個体発生概念においてあらかじめ用意された個体の構造が展開生成するプロセスを指していたのを後になって系統発生のプロセスを指す語に援用したものであったことは、もっと注目されてよいだろう。チャールズの「種の起原」で展開されている議論は系統発生と進歩を区別し、その定められた方向性を否定するものであったからである。つまり、チャールズの「進化論」の内容と"evolution"の本来の語義は親和性が良いとは言えないのである。
その他
- エラズマス・ダーウィンの著書はドイツ語などに翻訳され、ヨーロッパ大陸の自然哲学にも大きな影響を与えた。
- のちにエラズマスの哲学的、観念的「進化論」はジャン・アンリ・ファーブルが「昆虫記」において実地の観察や実験に基づいて痛烈に批判している。
- 吃音症であった[1]。
- ↑ 『西洋博物学者列伝』 ロバート・ハクスリー 悠書館 159ページ ひどいどもりで、魅力のある人物とは言えなかったが、客間での人づきあいはうまく、口説きの名人でもあった。
参考文献
- デズモンド・キング=ヘレ, 和田芳久訳『エラズマス・ダーウィン』工作舎 1993年 ISBN 4-87502-217-4