ウルバヌス6世 (ローマ教皇)
ウルバヌス6世(Urbanus VI 1318年 - 1389年10月15日、在位1378年 - 1389年)は、中世のローマ教皇。ナポリ出身、本名はバルトロメーオ・ディ・プリニャーノ(Bartolomeo Prignano)。
概要
14世紀後期、アヴィニョン捕囚の時期が終わった後に選出されたローマ教皇。また、現在までに枢機卿以外から選出された最後のローマ教皇である。
生涯
先代の教皇グレゴリウス11世は、1377年にアヴィニョンからローマに帰還し、翌1378年3月27日に死去した。
4月にローマで行われた教皇選挙・コンクラーヴェでは、「ローマ人かイタリア人教皇を」と叫ぶ群集が選挙会場を取り囲んだ。フランス人が多数派の枢機卿らは、身の危険を感じる中、バーリ大司教であるプリニャーノを選出した。現在までプリニャーノは、枢機卿団以外から選出された最後の教皇である。ウルバヌス6世の出身地ナポリはアンジュー=シチリア家が支配しており、フランスの勢力下に置くのに都合がよいと考えられたという。
ウルバヌス6世は選出後、イタリア人枢機卿を増やし、教会の改革を宣言して高圧的な態度に出た。これに反発したフランス人枢機卿らは、同年9月、アナーニに集まり、教皇選挙は脅迫のもと行われたので無効であるとして、クレメンス7世を新教皇(対立教皇)に選出し、フランス王、ナポリ王、カスティーリャ王、アラゴン王、スコットランド王が支持した為、教会大分裂の事態に至った。
ウルバヌス6世は事態打開の為、アヴィニョン支持派のナポリ女王ジョヴァンナ1世を暗殺した又従弟のカルロ3世のナポリ王位を承認したが、カルロ3世と対立していたルイ1世・ダンジューはクレメンス7世の支持を取り付け、王位継承戦争を引き起こした。その後もナポリ・アンジュー朝とヴァロワ=アンジュー家のナポリ王位争奪戦は続き、代々のローマ教皇を悩ませる事になる。
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