インド共産党

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テンプレート:政党 インド共産党Communist Party of India)は、インド共産主義政党。英語による略称はCPI1925年12月26日結成とされるインド共産党が、1964年に分裂した後、党内に留まった穏健派が同党を引き継いだ。これ以降、同党はインド共産党または便宜的にインド右派共産党と呼ばれることとなる。

歴史

第三インターナショナルの第二回大会の直後、インド共産党は、1920年10月17日にソ連のタシケントで設立された。リーダーはマノベンドラ・ナス・ロイであった。

その後、S.M. Joshi、N.G. Gore、P.K. Atreとともにマハーラーシュトラ州の創立に重要な役割したことで知られるシュリパド・アムリト・ダンゲが事実上のリーダーとなり、第一回党大会を開いたボンベイを拠点とする。

都市の繊維、港湾、工業労働者を支持基盤としたインド共産党は最盛期はインド国民会議派に次いで大きい政党であったが、分裂や弾圧を経て、1980年代から衰退していく。今日はかつての地盤でも議席は以前より多いと言えない(例えばパンジャーブ州やムンバイ、ゴア州等である)。

インド国民会議を中心とする統一進歩同盟に、インド共産党マルクス主義派とともに閣外協力していたが、2008年7月米印原子力協力に反対して閣外協力を解消した。

党名

党名は原語に忠実に訳せばインド共産党となるが、日本語ではこれに右派が付されることがある。これは旧インド共産党が、1964年穏健派(ソ連派)と急進派に分裂し、急進派がインド共産党マルクス主義派(インド左派共産党)となったことで、旧インド共産党と、両党を区別する必要が出たからである。

両党はともに共産主義政党であり、本来ならばわずかな政策の違いで右派・左派という言葉を付するべきではないという主張がある。また右派・左派を付する名称はインド国内では成されない。この場合インド右派共産党はインド共産党(CPI)、インド左派共産党はインド共産党マルクス主義派(CPI-M)という名称になるが、日本語ではCPI-Mの党名が長くなることで、右派・左派を用いて区別するケースがある。しかしこの名称はあくまでも便宜上のものである。またCPIとCPI-Mは左翼戦線を構成し選挙協力関係にあるなど、両党の対立は激しいものではない。

外部リンク

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