アフシャール朝
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アフシャール朝(テンプレート:Lang-fa、アフシャーリヤン)は、イラン(ペルシア)の王朝、首都はマシュハドでナーディルクリー・ベグによって建てられた。
経歴
初代・ナーディルの勢力拡大
ナーディルクリー(ナーディル・シャー)は、サファヴィー朝のアッバース3世の摂政として、テンプレート:仮リンクやオスマン朝を破って、旧サファヴィー朝が失った領土のほとんどを回復し、一時ペルシアの覇権を握った。1736年にサファヴィー朝のアッバース3世を退位させ、ナーディル・シャーとして即位した。ナーディル・シャーはバルチスタンへ侵攻し、テンプレート:仮リンクを占領した。晩年になるとナーディルは息子を盲目にしたり、甥の息子ら親族を大量に殺したり、市民や役人を殺戮したりした。この反動により、1747年に部下の兵士らによって暗殺された。
衰退・抗争期
ナーディルの死後、跡を継いだのは暗殺に一枚噛んでいたとされるアーディル・シャーであった。彼はナーディルの直系親族を一部を例外として殺戮したが、弟のイブラヒムに背かれて廃された。だが、イブラヒムも有力者の支持を得られず、すぐに廃された。
2人に代わって擁立されたのが、ナーディルの嫡孫であるシャー・ルクである。しかし1750年、シャー・ルクは有力者によって退位させられ、サファヴィー朝の末裔とされるテンプレート:仮リンクが傀儡として即位した。しかしすぐに亡き祖父ナーディルの旧臣らが反乱を起こしてシャー・ルクは復位した。
滅亡
以後のシャー・ルクは有力者の傀儡として利用された。そして1796年にアーガー・モハンマド・シャーがマシュハドを占領することでアフシャール朝は滅亡し、カージャール朝に取って代わられた。
歴代君主
- ナーディル・シャー(1736年 - 1747年)
- アーディル・シャー(1747年 - 1748年)
- イブラヒム(1748年)
- シャー・ルク (1748年 - 1750年)
- テンプレート:仮リンク (1750年)
- シャー・ルク (1750年 - 1796年、復位)テンプレート:Islam-stubテンプレート:Asbox