アッカデーミア・デイ・リンチェイ
アカデミア・デイ・リンチェイ(Accademia (Nazionale) dei Lincei: オオヤマネコの学会の意味)は ローマのコルシーニ宮殿にある学会で、何度かの中断を経験しながら現在まで続く科学アカデミーである。名称はオオヤマネコの鋭い視力を科学者の目標にしたものである。和訳の例としては「山猫学会」「山猫アカデミア」など。
枢機卿バルトロメオ・チェージを出した、富裕な名門の子息フェデリコ・チェージ(1586-1630)が設立した。最初のメンバーは、ヨハネス・ファン・ヘック、フランチェスコ・ステッルーティ、アナタシオ・デ・フィリスであった。1610年ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタが加わり、1611年にガリレオが会員となった。1613年ガリレオの黒点に関する著作の出版を行った。1630年にチェージの死によってパトロンを失ったことで活動は停滞した。ステッルーティによって活動は維持されたが、1652年にステッルーティが死ぬと活動は終了に追い込まれた。
その後に作られたイタリア学会はこの伝統ある名称を引き継ぎ、現在もL'Accademia Nazionale dei Linceiとして、540人のメンバーからなる国際的な科学アカデミーとして存続している。1847年に新リンチェイ教皇庁立アカデミア(Accademia Pontificia dei Nuovi Lincei)として設立された学会も、現在のアッカデーミア・デイ・リンチェイの伝統を継承しているとしており、現在はローマ教皇庁立科学アカデミーを名乗っている。
名称の変遷は1603年から1651年は L'Accademia (Federico Cesi)、1745年から1847年まで Le tre Rinascite dei Lincei、1870年から1923年まで La Reale Accademia dei Lincei、1926年から1944年まで I Lincei e l'Accademia d'Italia、1946年から L'Accademia Nazionale dei Lincei である。