アウグスト・ベーベル
アウグスト・ベーベル(August Bebel, 1840年2月22日 - 1913年8月13日)はドイツの社会主義者。ドイツ社会民主党(SPD)の創設者の一人。
人物
1840年2月22日、ケルン近郊のドイツ(Deutz)で生まれる。1853年から徒弟工となる。 1860年ライプツィヒに移り、フェルディナント・ラッサールとの出会いによって社会主義に目覚め、ヴィルヘルム・リープクネヒトに感化され、マルクス主義者となる。その後ライプツィヒ労働者教育協会に入り、理論的指導者として反プロイセン闘争を展開した。やがてリープクネヒトと共に1866年にザクセン人民党を創設し、翌年には北ドイツ連邦議会議員選挙に出馬し当選、1868年にアイゼナハでドイツ社会民主党を創立、1871年からはドイツ帝国の国会議員となった。1870年、普仏戦争の最中に軍事公債の発行に反対したため、大逆罪・不敬罪によりリープクネヒトとともに逮捕、禁固刑に処される。
1875年、全ドイツ労働者協会(ADAV、ラサール派)と社会民主労働者党(SDAP、アイゼナハ派)がゴータ大会で合同し、ドイツ社会主義労働者党(SAPD)が成立した。1890年、ハレの党大会でドイツ社会民主党に改名。1891年、フリードリヒ・エンゲルス、カール・カウツキーらとともにエルフルト綱領の確立に尽力。1890年代末、党内で修正主義論争が起こるが、1903年のドレスデン党大会で、ベーベル、カール・カウツキーらのいわゆるマルクス主義中間派が主導権を確立。
1893年から死に至るまでドイツ社会民主党(SPD)の党幹部会議長を務め、帝国議会の議員も務めた。また、第二インターナショナルにおいても指導的役割を果たした。
1913年8月13日、スイスの保養地で滞在中に死去。チューリッヒで埋葬された。
参考文献
- 『ドイツの職人』- 高木健次郎、中央公論社、1977年