わんこそば
わんこそばとは、岩手県(花巻、盛岡)に伝わる蕎麦(そば)の一つである。
提供するわんこそば店にもよるが、熱いそばつゆをくぐらせた一口大のそばを客のお椀に入れ、それを食べ終わるたびに、給仕がそのお椀に次々とそばを入れ続け、それを客が満腹になりふたを閉めるまで続けるというスタイルが基本となっている。
起源
わんこそばの起源として、以下の2説が知られている。
- およそ400年前の慶長時代、当時の南部家27代目当主、南部利直が江戸に向かう際に花巻城に立ち寄り食事を所望したところ、恐る恐る出した物は椀に盛られた一口大のそばであった。お殿様に対して市民と同じ丼で差し上げる事は失礼と思い、山海の幸と共に漆器のお椀に一口だけのそばを試しに出したのであったが、利直公はこれを「うまい」と何度もお代わりをした。その後明治時代になり花巻市の蕎麦屋「大畠家」が市民にもわんこそばを振る舞う様になり「お殿様の召上がったわんこそば」は市民の人気になった。昭和初期には一般家庭でも「わんこそば」が楽しまれるようになった。戦後花巻市出身の斎藤市太郎氏が盛岡で始めた「斎藤そば屋」が名物料理を考案中、「大畠家」に訪れ器や給仕の方法や作り方などを教わり名物わんこそばとして商品化した。盛岡でもわんこそばが評判となり、屋号を「斎藤そば屋」から「わんこや」(現在廃業)と改名し、「わんこそば」を商標登録した。という花巻起源説[1]。
- かつてこの地方には、祭事などの際に地主が大勢の村人や客人にそばを振舞うという風習があった。しかし、100人以上にもなる相手にそばを供する際、通常の作り方では釜が小さいために全ての人にそばが行き渡る前にのびてしまう。このため通常の分量のそばを小分けして振舞うことが行われるようになったとする盛岡起源説[2][3]。
現在のわんこそば
- わんこそばの定義
- 「わんこ(お椀)」で食べる
- 「給仕」がつく
- 「温かいそば」である
岩手県の花巻市・盛岡市にあるわんこそば店では、お店によって「わんこそば本来の「おもてなしの心」を重視し、客の食べるペースに合わせてゆっくりと最後までおいしく食べられるように工夫している店」と、「観光客向けの「パフォーマンス」を重視し、お椀を客の前に重ねたり、給仕がそばを入れる際に掛け声を発したりと工夫する店」のどちらかであることが多い。
料金は一杯いくらではなく、基本的には食べ放題(定額制)の場合が多いが、店によっては何杯かがセットになったものや、杯数制限のある場合もある。
一部の店舗では店に入ると大部屋に案内され、そこで他の客が集まるまでしばらく待たされる。これは、昔ながらの大勢で食べるスタイルを重視しているためである。
薬味なども用意されており、ネギや海苔、鰹節などの他にも、店によってまぐろやとろろ、イカの塩辛や天ぷらなど多彩である。これは、そばだけでは飽きてしまうため、そばを沢山食べていただけるように味や食感にエッジを効かせるためである。
ちなみに近年、岩手県の平泉地方には、あらかじめ小分けされた冷たいそばの入ったお椀を、お盆ごと数十杯まとめて提供し、客が自分でお代わりを入れて食べる「盛出し式わんこそば」というものが存在するが、厳密には本来の「わんこそば」とは異なり、あくまで「盛り出し式わんこそば」と区別される。
競技会
1957年(昭和32年)12月に、花巻市の嘉司屋(かじや)で「わんこ相撲冬場所」が開催され、多くの参加者が集まって何杯食べられるかの競争が行われた。現在わんこそばを多く食べた人を「横綱」「大関」等というのは、当時大会開催にあたって趣向を凝らし、「わんこそば」を「相撲」になぞらえて開催したことの名残である。その後何度か大会の名称や競技方法等を変えながらも今日まで毎年開催され、その歴史は50年を超える。現在では「わんこそば全日本大会」という名称となったこの大会がきっかけとなり全国に「わんこそば」が知れ渡り、現在においては主として観光客向けの「いわて花巻名物」としてわんこそばの食べ方が定着した。
1986年(昭和61年)からは盛岡市でも「全日本わんこそば選手権」という名でわんこそばを競技とした大会が開催されている[1]が、花巻市の大会とは競技方法がいくつか異なり、観客動員数も花巻市の2000人~2500人と比べ、盛岡市では400人~700人と少ない。
主なわんこ蕎麦の記録
小林尊通常サイズの645杯相当(12分)-387杯
- 2001年TVチャンピオン開催のネイサンズホットドック早食い大会日本予選にて。 9,675g完食。通常より大盛りの25グラムのわんこ蕎麦(通常は15グラム)を387杯。
中嶋広文557杯(無制限)
- 第10回全日本わんこ蕎麦選手権にて。約8,355g完食。
風間博正530杯(40分)
- 第7回全日本わんこ蕎麦選手権にて7,950g完食。
岸義行451杯(15分)
- 第14回全日本わんこ蕎麦選手権にて。約6,765g完食。15分の最高記録。
菅原初代480杯(45分)
- 第25回全日本わんこ蕎麦選手権にて。連覇後の3大会目で中嶋の記録に45分で挑んで480杯完食で失敗。 後にローカル番組のリベンジ企画で1時間で570杯(8,550g)達成。
赤阪尊子470杯(60分)
- 1999年TVチャンピオン決勝にて。7,050g完食。
多く食べるコツ
- 空腹で食べ始めないこと(朝食または昼食を抜かずに、本来の食事の時間に食べる)
- 麺つゆを飲みすぎないようにすること
- そばに飽きないように、適度に薬味を合わせて食べること
- テンポよく食べ続けること
ただし、「わんこそば」は本来大食い・早食いをすすめる食べ方ではなく、ゆっくりとおいしく食べる「おもてなしの郷土料理」である。大食い・早食いのイメージが強いのは、大会の競技のイメージが強いためである。
その他
- わんこの一杯の量は店ごとに異なり、わんこ7杯でかけそば一杯とする店から、15杯でかけそば一杯とするお店など様々である。(店によってわんこ一杯の量も違うが、かけそば一杯の量も店によって違うため)
- 花巻市は、2007年10月24日に姉妹都市の米国アーカンソー州ホットスプリングス市で海外初の本格的なわんこそば大会を実施。その後、10月27日にはニューヨーク岩手県人会主催のわんこそば大会に技術協力を行った。花巻市では他に中国など海外でのわんこそば大会なども開催している。
- 盛岡市では「冷麺・じゃじゃ麺・わんこそば」をセットで「盛岡三大麺」と称しているが、最近では「いわて三大麺」と呼ばれることが多い。
- わんこそば大会の時間制限は、花巻では5分、盛岡では15分とされている。
- 2008年から2010年に行われた「いわて・平泉観光キャンペーン」のマスコットキャラクターは、わんこそばをモチーフとした5キャラクター「わんこきょうだい」。その後も県の観光キャラクターとして活躍中で、2016年開催予定の希望郷いわて国体のマスコットにもなった[2]。そのわんこきょうだいが歌う「わんこきょうだいのうた」は東日本旅客鉄道(JR東日本)の盛岡駅の在来線発車メロディにもなった。
- 2009年に盛岡市で「第24回全日本わんこそば選手権」が開催された時は、盛岡市の女性が制限時間の10分間で399杯を食べて3連覇を達成した。この女性はテレビ番組「元祖!大食い王決定戦」にも出場している。
- 2010年に花巻市で「第52回わんこそば全日本大会」が開催された時は、大分県の男性が制限時間の5分間で254杯を食べて3連覇を達成した。
- 長野県の戸隠そば、島根県の出雲そばと共に、日本三大そばの一つとされる。
脚注・出典
- ↑ 「ニッポンめんサミット」というイベントの一部として行われたものが、独立して継続したもの。
- ↑ わんこきょうだい公式サイト
関連項目
わんこそばとあわせて「盛岡三大麺」と称することがある。
日本テレビの正月特番。1981年頃から「わんこそば早食い競争」が行われていた。
わんこそばを初めて取り上げた漫画。大原家の近所に出来たそば屋で、「そば食い放題1年分」を賭けてオバQ・ゴジラ・小池さんが挑戦し、オバQが優勝するも、そば屋は閉店したというオチ。アニメ『新・オバケのQ太郎』(日本テレビ系列)でも、「ワンコソバにいどむの巻」(第18回Bパート)として放送された。