さっぽろももこ
さっぽろももこ(9月15日 - )は、日本の作曲家、原画家、歌手。現在はフリーのゲームクリエイターとして、主にアダルトゲームの音楽や原画を担当している。
作曲傾向としてはテクノ~ニューウェイヴ系の楽曲を創り、自ら「80年代ニューウェイヴ残党」と称することもある[1]。
略歴
当初は作曲家としてその活動を開始した。MTRを用いた作曲に熱中する内にできたデモテープが巻上公一の目に止まってスタジオ録音の機会を与えられる。そこでヤマハ関係者と親交ができて、そのスタジオを使わせてもらう内に、1985年10月、「第30回ポピュラーソングコンテストつま恋本選会」へ出場、そこで優秀曲賞を受賞し、同月の第16回世界歌謡祭にも出場した。翌1986年10月にシングル『ファイヴ・シャドウ』でキャニオンからデビュー。1980年代はRIKA名義で作曲家・歌手として活動する[1]。しかし、1988年2月のシングル『ようこそシネマハウスへ』を最後に活動を停止したテンプレート:Refnest。
その後、音楽関係の仕事がしたいと、美少女ゲーム製作会社HARDの求人票を見て訪れると、絵の仕事ならあると言われてまったく経験はないながら挑戦することになる。その内に絵を描く楽しさに目覚め、後に同社社長に就任する長岡建蔵とともに多くの仕事をこなしていくことになる[2]。
特にRIKAとして最後のシングルとなった『ようこそシネマハウスへ』と同じ題名の映画製作シミュレーションゲーム『ようこそシネマハウスへ』(HARD 1994年)を企画し、アダルトゲーム主体の同社では異色の作品として高い評価を得たテンプレート:Refnest。
他にも、アダルトゲームの分野では、13cm、CRAFTWORKなど、VA系ブランドの作品に参加することが多く、看護士がヒロインの多くを占める作品の原画を担当する頻度も高い。前述の『ようこそシネマハウスへ』、『さよならを教えて 〜comment te dire adieu〜』(CRAFTWORK 2001年)、『発情カルテ 〜緋色の陵辱肉玩具〜』(13cm 2000年)など、カルト的な人気を誇る作品に参加していることが多いのも特徴である[3]。 コンシューマ作品の『ポケットラブ』シリーズにも参加していた。
ディスコグラフィー
- 1986年 - ファイヴ・シャドウ
- 1987年 - 雨の中で僕は(第30回ポピュラーソングコンテスト 優秀賞受賞)
- 1987年 - ロマンチック
- 1987年 - アルファベット
- 1988年 - ようこそシネマハウスへ
- 1989年 - ドラゴンショック
参加した主なゲーム
音楽・原画
- ようこそシネマハウスへ(1994年、HARD) - 企画も担当。
- Gの極北(BunnyPro)
- 水仙花(2005年、FLADY)
- 僕は天使じゃないよ(2005年、130cm)
原画
- 檸檬 〜影絵亭ノスタルジヤ〜(2000年、130cm)
- かなりあ(13cm)
- いつかの空(2001年、あんく)
- 凌辱看護婦〜地獄責め〜(2003年、凌辱堂)
- かけた月は戻らない(2006年、CLOCKUP)
- 個室病室(2006年、アトリエD)
- でるた!〜おねだり天使とひとつ屋根のした〜(2007年、アトリエかぐや)
- Maria 天使のキスと悪魔の花嫁(2008年、tailwind)
- ふたりのえりか(2008年、あらも〜ど)
- ナースのお勉強 応用編〜受けシチュ以外は絶対禁止!〜(2008年アトリエD)
- ちゅうちゅうナース(2008年、ゆ〜かりそふと)
- 埼狂痴漢電車 〜7人の獲物達〜(2008年、DMM)[4]
- ふわりコンプレックス※1キャラのみ(2009年、戯画)
- ポケットラブシリーズ(KID シナリオも担当)※コンシューマ作品
音楽
- for elise(CRAFTWORK)
- 地獄SEEK(1997年、PIL)
- Revolver(PIL)
- flowers 〜ココロノハナ〜(CRAFTWORK)
- 発情カルテ 〜緋色の陵辱肉玩具〜 (2000年、130cm)
- さよならを教えて 〜comment te dire adieu〜(2001年、CRAFTWORK)
- おまえのなつやすみ(FlyingShine)
- おまな2 おまえんち萌えてるぞ(FlyingShine黒)
- ピエタ(FylingShine黒)
- 屠殺の園(2007年、catear)
出典・脚注
外部リンク
- キラキラヒカル
- キラキラblog
- テンプレート:Twitter
- 手工芸テクノ歌姫、RIKAさん - All Aboutによるインタビュー
- その後の手工芸歌姫、RIKAさん - All Aboutによるインタビュー