那智滝
テンプレート:Infobox 滝 テンプレート:Mapplot 那智滝(なちのたき)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の那智川にかかる滝。一の滝における落差は133mであり、総合落差では日本12位だが、一段の滝としては落差日本1位を誇る。華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられている。
国の名勝に指定されている(1972年7月11日指定、指定名は「那智大滝〈なちのおおたき〉」)[1]。ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年〈平成16年〉7月登録)の一部[2]。
概要
那智山中には、いくつかの渓流があり、その渓流には60余に達する多くの滝が架かっている。「那智滝」とは、本来は、那智山の多くの滝のうち、瀧篭修行の行場として扱われた48の滝(那智四十八滝)の総称であった[3]。
しかし、現在、一般に那智滝として知られている滝はこれらのうち、一の滝を指している。那智山一帯は、滝に対する自然信仰の聖地であり、一の滝は現在でも飛瀧神社の神体であって、飛瀧神社の境内に設けられた滝見台からその姿を見ることが出来る。
滝の落口の岩盤に切れ目があり三筋に分かれて流れ落ちるため三筋の滝ともいい、また那智の滝の代表するということから那智の大滝とも呼ばれる。
この滝を写した写真のキャプションとして「熊野那智大社と那智滝」などの様に題して、三重の塔と那智の滝を1枚のフレームに納めたものがある。明治期の神仏分離以前においては、その三重の塔が属する青岸渡寺と熊野那智大社は一体のものであったが、今日においては三重塔は青岸渡寺に属するため「青岸渡寺の三重塔と那智滝」と表記するのが正しい。
那智四十八滝
テンプレート:Main 那智原始林内には多くの滝があるが、このうち48の滝に番号と諸宗教(神道を中心に、儒教、仏教、道教、陰陽五行説など)にもとづく名が与えられていた[3]。
これらの滝では、青岸渡寺開祖と伝えられる裸形上人をはじめとする宗教者たちのほか、花山法皇も二の滝の断崖上に庵を設けて、千日滝篭行をしたと伝えられている[4]。しかし、明治期の神仏分離令・修験道廃止令によって、これらの行を支えた神仏習合的な信仰が失われるとともに、明治初期からは所在や名称も不明となっていた。
だが、1991年、わずかに残された古文書を手がかりに、地元の有志・新聞社・僧職などが四十八滝探査プロジェクトを行い、再発見に成功した[5]。また、1992年からは青岸渡寺の手によって、那智四十八滝回峰行が再興されている[6]。
ギャラリー
- Waterfall Nachi02.jpg
青岸渡寺(左:三重塔、下:尊勝院)と那智滝
- Waterfall Nachi01.jpg
冬の大滝(上部に注連縄が見える)
- Nachi Falls002.JPG
飛瀧神社境内から大滝を望む
- Nachikatsuura Wakayama chapter.svg
那智勝浦町の町章は那智の滝を図案化したデザインである[7]
所在地
- 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:紀伊山地の霊場と参詣道 テンプレート:日本の滝百選
テンプレート:Asbox- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite book ja-jp、pp.39,75
- ↑ 3.0 3.1 中嶋市郎、2002、「「那智四十八滝」探査プロジェクト」、別冊太陽編集部編『熊野 - 異界への旅』、平凡社 ISBN 4582943845 pp.114-115
- ↑ 平凡社編、1997、『大和・紀伊』、平凡社(寺院神社大事典) ISBN 4582134025 pp.621-622
- ↑ 高木亮英、2002、「現代の熊野修験」、別冊太陽編集部編『熊野 - 異界への旅』、平凡社 ISBN 4582943845 pp.52-53
- ↑ 宇江敏勝、2004、『熊野修験の森 - 大峯山脈奥駈け記』(増補版)、新宿書房(宇江敏勝の本第2期)、ISBN 4880083070 pp.11-22
- ↑ テンプレート:Cite web